「いだてん」はこれまでのところ、テンション高めに進んでいる。四三役の中村にしても、嘉納役の役所にしても、早めの台詞まわしでワーワーと賑やかな芝居をしている。そこにあって大竹はぐっと抑えた声で、ゆっくり堂々と演じていた。

 ああ、こういうところにお嫁にいってスヤはよかった。夫を亡くしてもこの義母はいて、四三との縁がつながっていくのだな。一瞬にして、そんな安心感に包まれた。幾江はスヤに、毎朝水を汲みタライに入れ、自分が顔を洗う間、それを持っていよと命じていた。

 ここでまた場面がシベリア鉄道に切り替わる。四三が監督から「朝食の前に、着替えて顔を洗ってこい」と命じられている。咳の次は、洗顔でつなげる。しばらくして、再び本に。スヤがタライを新聞紙の上に置く。幾江が近づいてくる。スヤがタライを持ち上げる。新聞に「金栗四三選手、有望」という記事。一瞬目をやるスヤ。きれいな綾瀬の目。

 クドカンはうまい脚本家だと、しみじみ思う。そして、既成概念にとらわれない。彼の書いた「あまちゃん」は、「女の一代記」という朝ドラの枠組みをヒョイと超えていた。「いだてん」も同様だ。「歴史上の大人物」は出てこない。「時系列の一代記」でもない。

 だから「いつもの朝ドラ」のつもりで「あまちゃん」を見た人が驚いたように、「いつもの大河」のつもりで「いだてん」を見た人は驚いただろう。だから、「いつものが好き」な人は離れる。視聴率も下がる。それがこれまでの流れだろう。

 だが「あまちゃん」は回を追うごとに評判が上がり、視聴率も上がっていった。「いだてん」もそうなるに違いない。クドカンワールドを愛する者として、そう信じたい。

「あまちゃん」の要所を抑えたのは、ヒロインの祖母役の宮本信子だった。それと同じ役目を「いだてん」で果たすのは、大竹しのぶをおいて他にいない。

 さて最後に、「いだてん」は明治と昭和を行ったり来たりしてわかりにくいとか、古今亭志ん生役のビートたけしの滑舌が悪くて何を言ってるかわからないとか、そんなふうに思っているみなさまへ。「もう、『いだてん』見るのやめようかな」と思案中ならば、こう申し上げたい。

 大丈夫、「いだてん」には、大竹しのぶがいる。(矢部万紀子

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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