ただ、仕事を続けながらも、内心は行き詰まりを感じていた。お笑い好きな彼女が、ギャグを挟み込んでなるべく面白おかしくレポートをしようとしても、オンエアではギャグの部分がカットされていたりする。レポーターはレポーターでしかない、ということを何度も思い知らされた。

 そこで彼女はお笑いの道に進む決意をした。レポーターの仕事を辞めて、お笑い養成所「NSC大阪」に入った。友近は自分の芸に初めから自信を持っていた。だが、劇場に集まる若い女性中心の観客には思うように評価されず、苦悩の日々が続いた。それでも、自分がやっていることが間違っていないという確信があるので、他人のアドバイスやダメ出しにも一切聞く耳を持たなかった。

 そんな彼女の才能を見出したのは先輩芸人であるバッファロー吾郎の2人。彼らはまだ無名だった友近を自分たちのライブに出演させた。この場で友近は新しい世界に触れた。バッファロー吾郎のライブでは、彼らのマニアックなネタを見て観客がゲラゲラ笑っていた。芸人と観客の間で笑いの感覚を共有できているのを目の当たりにした。自分もこういう観客を育てていけばいいんだ、と前向きに考えられるようになった。

 このあたりから少しずつ彼女は頭角を現してきた。2002年には『R-1ぐらんぷり』決勝進出、2003年には『NHK新人演芸大賞』演芸部門で大賞を受賞した。その後、『エンタの神様』などのネタ番組に出演して、彼女は一気にスターへの階段を駆け上がっていった。

 どこまでも好きなようにキャラクターを演じるだけの友近のネタは「理解されないと全くウケない」という宿命を抱えている。私が見た最大の修羅場は、数年前に人気沸騰中の水谷千重子が『徹子の部屋』に出演したときである。演歌界の大御所である水谷は徹子にもタメ口で気安く話していたのだが、「コントのキャラクター」という概念を理解できない徹子は気分を害したようで、ずっと苦い表情を浮かべ、聞き流すような冷たい対応をしていた。徹底してキャラクターに入り込む友近のこだわりがこのときばかりは裏目に出てしまった。

 ただ、友近は圧倒的なクオリティのネタを作り続けて、着実にその理解者を増やしていった。「水谷千重子」はそんな彼女の最高傑作である。水谷が伝統ある明治座で公演を行うまでになったのは、まさに「嘘から出たまこと」を地で行く。1人の芸人の妄想が生み出した架空の演歌歌手がリアルなステージで公演を行う。いまやこの事実そのものがよくできたコントのようだ。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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