ベッキーはイギリス人の父と日本人の母の間に生まれた。母親はいつも明るく快活で、子供を枠に押し込めるタイプではなかった。ベッキーには一人の妹がいたが、「お姉ちゃんなんだから」「女の子なんだから」といった物言いでしつけられることは一切なく、徹底した自由放任主義が貫かれていた。

 そんな家庭でベッキーはすくすくと育った。小さい頃からテレビに夢中になり、『とんねるずのみなさんのおかげです』に出ていた渡辺満里奈が好きになった。バラエティの世界で芸人たちと真っ向からぶつかりながらも、紅一点としてかわいがられ、愛されているそのポジションに憧れた。ベッキーは当時から自分の将来像を明確に描いていた。

 ベッキー本人も、周囲の家族や友人たちも、ベッキーが芸能人になることを疑う者はいなかった。自分が好きなように行動していれば、周囲の人が自分を肯定してくれる。無邪気にそう信じていたベッキーは、芸能界に入ってからもその優等生的なスタンスを貫いていた。

 今から約10年前、有吉弘行がそんな彼女に「元気の押し売り」というあだ名をつけたのは一種の警告のようなものだったのだが、当時の彼女の耳には届いていなかった。

 そんな彼女が初めて明確な挫折を味わったのが音楽活動である。もともと歌手を目指していたベッキーは、芸能活動10年目に悲願のCDデビューを果たした。だが、CDは思うように売れなかった。タレントとして知名度があっても、歌手としての人気はそれに遠く及ばなかった。ライブの観客動員数も伸び悩み、それを彼女に知られまいと先回りして気を使うスタッフたちの動きが目に入り、そのことがさらに彼女を苦しめた。

 音楽活動で行き詰まっていた彼女にとって、才能にあふれた男性ミュージシャンはさぞかし魅力的に見えたのだろう。彼との不倫愛に溺れ、自分の中でもそれをポジティブに捉えてしまった。「自己肯定力の化け物」が自滅した瞬間だった。

 騒動からしばらく経った後、ある番組で彼女は「皆さんに応援される恋愛がしたいです」と語っていた。個人的には、この言葉を聞いてまだまだ先行き不安だと感じた。この期に及んでなお、彼女は「皆さん」に「応援」してもらおうと思っているのか、と。

 そうやって他人の評価ばかりを気にしてしまうのは、本当は自分に自信がないからだ。老婆心ながら言わせてもらえば、今のベッキーに必要なのは、「たとえ誰からも応援されなくても、ダメな自分を肯定する」という健全なポジティブ思考である。ベッキーに幸あれ。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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