それでも打線は一向に目を覚ます気配がない。翌5日も西崎幸広に12三振を奪われ、ノーヒットノーランを食うという屈辱。2試合計17イニング連続無安打は、63年に大洋が記録した16イニングを更新する日本ワーストとなった。

 これには東尾監督も「落ちるところまで落ちた?その通りです。(西崎は)こっちが悪いからよく見えるのか……。ただ、良い球が来ていたな」とすっかりお手上げだった。

 だが、同7日の近鉄戦(藤井寺)で、2回に垣内哲也が19イニングぶりの安打を放ち、ようやく連続無安打記録をストップ。試合も5対4で勝ち、連敗も「7」で止めた。

 泥沼の連敗地獄から何とか脱出しようと、シーズン中では前代未聞のお祓いまでやったのが、1998年のロッテ

 6月13日のオリックス戦(千葉マリン)で4対6と逆転負けしたのが、ケチのつきはじめ。以来、ズルズルと12連敗。同30日の西武戦(福井)も2点リードを8回に追いつかれ、延長12回5対5の引き分けに終わった。

 14連敗中だった7月4日のダイエー戦(千葉マリン)では、試合前に千葉神社の神官を招き、「技冴えわたり勝ち星を取りたまえ。多くの人々に喜びを与えたまえ」とお祓いしてもらったにもかかわらず、延長11回の末、7対10で敗れ、パリーグワーストタイの15連敗。翌5日も3対10と大敗し、1936年の大東京と70年のヤクルトが記録した日本タイの16連敗に並んだ。

 そして、同7日のオリックス戦(グリーンスタジアム神戸)も、3対1で勝利寸前の9回2死から黒木知宏がプリアムにまさかの同点2ランを浴び、延長12回、代打・広永益隆の満塁弾で悪夢のサヨナラ負け。翌8日もオリックスに4対6で連敗し、ついに18連敗となった。

 翌9日のオリックス戦、連敗脱出をかけてマウンドに上がった小宮山悟は回想する。

「連敗中、僕は4試合に先発して3敗したけど、けっして調子が悪いわけではなかった。流れが悪いほうへ悪いほうへと傾いて、ふつうなら起こるはずのないエラーが続いたり、18連敗目の試合では、イチローのレフト線にフラフラ上がった打球が切れずにホームランになったり、神様がいたずらしてるんじゃないかな?と思いました。今思えば、あのときこうすれば良かったというものが全然なかった。みんなふつうにプレーしているのに、結果として黒星が続いたという感じでした」。

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相手がイチローだったことが幸い?