プロ野球はストーブリーグに突入した。FA移籍も気になるところだが、シーズンオフとなり、プロ野球がない日々に寂しい思いをしている方も少なくないだろう。そこで、今回は「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、サイクル安打にまつわる珍事件を振り返ってもらった。
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サイクル安打達成時の三塁タッチプレーの可否が論議の的になったのが、1983年4月30日の広島vs阪神(甲子園)
初回に左越え二塁打を放った“ミスター赤ヘル”山本浩二は、5回に左越え本塁打、6回に中前安打を記録し、サイクル達成まで残るは三塁打のみとなった。
はたして三塁打は生まれるか?ファンが熱い視線を送るなか、8回無死一塁、中田良弘の直球をジャストミートした山本の打球は、左中間を深々と破る。文句なしの長打コースだ。「打った瞬間、どんなことがあっても三塁に行こうと決めてたよ」と迷うことなく二塁ベースを蹴った山本だったが、三塁ベースまであと5メートルというところで、ショート・真弓明信から中継のボールがサード・掛布雅之のグラブへ。誰が見てもアウトのタイミングだった。
ところが、少し下がり気味にファウルゾーンで捕球した掛布がやや緩慢な動作でタッチに行ったことから、山本はこれ幸いとタッチをかいくぐってスライディングし、セーフになった。この瞬間、史上最年長、36歳6カ月のサイクル安打がプロ野球史に刻まれた。
広島が12対0と大勝したゲームとあって、三塁打をひとつ許したぐらいでは、大勢に影響はなかったものの、結果的にサイクルをアシストした掛布のプレーは、「武士の情けだ」「イヤ、明らかな怠慢プレーだ」と喧々諤々の大論争となった。
現役引退後、掛布は山本と一緒に出演したテレビ番組で、わざとタッチしなかったことを打ち明けているが、“ミスタータイガース”として本塁打王3回、打点王1回など輝かしい実績を残した自身は、皮肉なことにサイクルは達成できずじまいだった。