由規、悔しさを成長に変えたヤクルトでの日々… 故郷・仙台で再び輝け【菊田康彦】 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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由規、悔しさを成長に変えたヤクルトでの日々… 故郷・仙台で再び輝け【菊田康彦】

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楽天に育成選手として入団した由規 (c)朝日新聞社

楽天に育成選手として入団した由規 (c)朝日新聞社

 長いリハビリを経て、ファームの試合で実戦に復帰したのは2014年6月。翌2015年は3年ぶりに一軍のキャンプに参加すると、二軍では順調に登板を重ねていたが、肩の不調で再び戦列を離れてしまう。8月には一時的に復帰するも、一軍マウンドには届かなかった。この年、ヤクルトは14年ぶりにセ・リーグを制覇。ホームグラウンドの神宮球場で歓喜に沸くチームメイトの姿を、由規はテレビの画面越しに眺めることしかできなかった……。

「一番悔しいシーズンですね。(一軍で)投げられるんじゃないかっていう期待もあったし、途中までは良かったんで……。やっぱり投げたかったです」

 そんな思いの由規に待っていたのは、育成選手としての契約だった。育成選手に関する規約では「ユニフォームの背番号は100番以降を使用するものとする」とある。18歳でプロ入りして以来、一貫して11番だった由規の背番号は、9年目にして初めて3ケタの「121」になった。

「(背番号が)3ケタになったことで、実績も過去も僕の中ではゼロだと思ってスタートしたし、3ケタを背負っている以上は、チームでは一番下っ端なんだっていうのを素直に受け止めました」

 育成選手として再出発した時の心境を、由規は後にそう振り返っている。それまでは「早く一軍で結果を残さなきゃいけない」という、焦りにも似た気持ちがあった。だが一軍のマウンドは、近づいたかに見えたと思えば遠ざかり、の繰り返し。「やめた!」って言えたらどれだけ楽なんだろう--。そんなふうに思ったこともあるという。

 3ケタの番号を背負うようになって、由規の心境には変化が生じていた。「一軍で結果を残す」ことを目標としていたのを、「まずは一軍で1球でも投げる」とハードルを下げたことによって随分と気持ちが楽になったそうだ。

 背番号121でスタートした2016年。ファームで登板を重ね、結果を残した由規は、6月22日のイースタン・リーグ、巨人戦に先発。衣笠剛球団社長兼オーナー代行、小川淳司シニアディレクター(現監督)、真中満監督(当時)らが見つめる“御前試合”で5回2失点(自責点0)、8奪三振の力投を見せると、ついにゴーサインが出る。

 7月5日に再び支配下登録選手として契約。慣れ親しんだ11番のユニフォームに袖を通し「また新しく11番を背負う気持ちで(契約書に)サインしました」と、晴れやかな笑顔を見せた。



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