阪急・上田利治監督 (c)朝日新聞社
阪急・上田利治監督 (c)朝日新聞社

 プロ野球はストーブリーグに突入した。FA移籍も気になるところだが、シーズンオフとなり、プロ野球がない日々に寂しい思いをしている方も少なくないだろう。そこで今回は、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、ノーヒットノーランを巡る“B級ニュース”を振り返ってもらった。

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 ノーヒットノーランを阻止したばかりでなく、その一打がプロ野球史上初の快挙にもなるというラッキーボーイが現れたのが、1984年8月16日のロッテvs阪急(平和台)。

 この日の阪急打線は、ロッテの右下手投げ・深沢恵雄を打ちあぐみ、7回まで無安打無得点。

「このままではやられてしまう」と危惧した上田利治監督は、0対4の8回、先頭の藤田浩雅に代えて、プロ3年目の21歳・村上信一を代打に送った。

 退団帰国したバンプに代わって1軍入りをはたした村上は、デビュー戦となった8月9日の南海戦(大阪)でも、4対4の延長10回2死一塁で代打起用され、プロ初打席で加藤伸一から決勝2ランを放つ離れ業を演じたばかり。「ここは信しかいない」と指揮官は祈るような気持ちだった。

「打てなくて当たり前。食らいついていこうとだけ思った」という村上は、カウント1-1から3球目の内角カーブをすくい上げるようにして振り抜いた。これが右翼ポール際に突き刺さる2号ソロになり、見事深沢の記録を阻止。しかも、デビューから代打で2打席連続本塁打は、プロ野球史上初の快挙だった。

「2打席で2発なんて、ウソみたい!」(村上)

 試合は2対8で敗れたが、上田監督は「ノーヒットノーランをやられてたら、ショックで立ち直れない。意味ある一発だった」と目を細めた。

 それから33年後の2017年、広島・バティスタが史上2人目のデビューから2打席連続の代打本塁打を記録し、「村上以来」と再びその名がクローズアップされた。

 継投によるノーヒットノーランを9回1死から阻止するという珍事が生まれたのが、1999年5月12日の近鉄vsオリックス(神戸グリーンスタジアム)。

 近鉄の先発・小池秀郎は6回までに2四球と振り逃げの走者3人を出しただけ。だが、0対0の緊迫した展開にもかかわらず、佐々木恭介監督は7回から小池に代えて香田勲男をリリーフに送った。

 なぜか?

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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