ライブコンポジットの機能を生かした作品。身近な通勤路線でも個性的な作品に仕上げることができる(撮影/小竹直人)
ライブコンポジットの機能を生かした作品。身近な通勤路線でも個性的な作品に仕上げることができる(撮影/小竹直人)
「京王線と京王新線越しに見えた、早朝の富士山です」(撮影/小竹直人)
「京王線と京王新線越しに見えた、早朝の富士山です」(撮影/小竹直人)
小竹直人(こたけ・なおと)/1969年新潟市生まれ。91年日本写真芸術専門学校卒。フォトジャーナリスト・樋口健二氏に師事。90年から中国のSLを撮り続け、2012年からは中朝中露の国境の鉄道遺構の取材も同時進行している。鉄道写真愛好家を対象とした「火車撮影家集団」の主宰として写真展の企画運営を手がけている。
小竹直人(こたけ・なおと)/1969年新潟市生まれ。91年日本写真芸術専門学校卒。フォトジャーナリスト・樋口健二氏に師事。90年から中国のSLを撮り続け、2012年からは中朝中露の国境の鉄道遺構の取材も同時進行している。鉄道写真愛好家を対象とした「火車撮影家集団」の主宰として写真展の企画運営を手がけている。

 被写体として人気の鉄道だが、悪質な撮影行為はトラブルどころか、事件・事故にも結びつきやすいものだ。実際、線路への立ち入り、草花の踏み荒らしなどが連日のように伝えられ、一部の愛好家のせいで多くの「撮り鉄」は肩身の狭い思いをしている。撮影愛好家はどう振る舞うべきなのか。アサヒカメラ特別編集『写真好きのための法律&マナー』では、写真家の小竹直人さんに話を聞いた。

【ドローンで電車を撮影し墜落… 撮り鉄トンデモ事件簿の一覧はこちら】

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 私は中学生のころから鉄道写真を撮っていますが、ラストランや珍しい列車が走る日本の“イベント”現場を離れたのは約30年前。それにはあるきっかけがありました。

 JR七尾線で蒸気機関車のC56とC57が走ることになり、私もその現場に行きました。大勢の「撮り鉄」が集まり、機関車が走り去った後のこと。20代の男性が、孫と一緒に機関車を見に来たと思われる地元の人らしきおじいさんに対して、「このクソ野郎、お前らが邪魔しやがって」と暴言を吐いたのです。いよいよ撮影というときに、男性のフレームに二人の姿が入ってしまったのでしょう。

 それを耳にしたとき、「こんな連中とは一緒にいたくない」と思いました。私もあの場では、みんなと同じ方向にレンズを向けて似たような写真を狙っていました。でも、それに何の意味があったんだろうと疑問に思ったんです。

 イベント撮影は楽しいですし、めったにない機会や、ラストランならなおさらです。また、プロの写真家が撮った写真を見て、「同じ写真を撮りたい」と思うのも自然なこと。

 ただ、私が言いたいのは、「いい年していつまでやっているんだ?」ということです。

 鉄道写真を撮り始めた人や、若い人はまだいい。でもベテランと呼ばれる人なら、そうした人に場所を譲り、自分なりのフィールドを持つべきではないでしょうか?

 ああいう現場での撮影は、誰よりも早く行って場所取りしたからといっていい写真が撮れるものでもなく、同じような撮影方法になりがちです。それは「思考停止」と同じこと。カメラはどんどん進化して表現の幅が広がっているというのに、人間の側には進化が見られないんです。

 また、みなさんはプロ顔負けの立派なカメラやレンズをたくさん持っています。「撮り鉄」の中には妙な“フルサイズ信仰”があるようですが、最近のミラーレスカメラでも相当の画素数があります。

 以前、ミラーレスカメラで撮影した写真を、展示用にかなり大きく引き伸ばしたことがありますが、画質が破綻することはありませんでした。「安くて軽く、しかもよく写るんだからこれで十分じゃないか」と思ったほどです。

 ところが、“フルサイズ信仰”の割には、他の人に写真を見せるとき、大抵の人はタブレット端末か、プリントしてもせいぜい2Lサイズ。フルサイズカメラにこだわる理由は何なのでしょうか?

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究極のいい写真とは?