1993年のプロ野球日本シリーズで西武を破り、日本一を掴んだヤクルト・野村克也監督 (c)朝日新聞社
1993年のプロ野球日本シリーズで西武を破り、日本一を掴んだヤクルト・野村克也監督 (c)朝日新聞社
八重樫幸雄氏
八重樫幸雄氏

 昨年は大きく負け越し最下位に沈んだヤクルトロッテ。巻き返しを図るべく、今シーズンは両チームとも監督、コーチングスタッフを大きく入れ替え、その結果ここまで予想以上の健闘を見せている。特にヤクルトでは復帰した小川淳司監督、新任の河田雄祐、石井琢朗両コーチの存在がクローズアップされることも多い。一方で、巨人は高橋由伸監督が就任後は補強を繰り返しながらも低迷が続いている。選手によっては監督、コーチとの出会いによって、その後の野球人生が大きく変わるという例も珍しくない。

 そこで今回は選手として多くの監督、コーチの下でプレーされ、また自身も長くコーチを務められた、元ヤクルトの八重樫幸雄氏に、監督やコーチングスタッフがチームに与える影響、また選手の成長のためにコーチが果たすべき役割などについてお話を伺った。

-八重樫さんは現役時代、コーチ時代通じて多くの監督の下でプレーならびに指導をされてきたと思いますが、プロ野球の監督はどのようなタイプの方が多いですか?

「自分が『こうしたい』という意見を主張する人と、自分からは強く主張せずに周囲を生かそうとする人に、大きく二つに分かれると思います。昔はコーチも少なかったので、監督が直接技術的なことについて、選手に言うことも多かったですが、今はだいぶ監督とコーチの分業制が進んでいます。でもそんな中で監督が昔のように(コーチより)主張し過ぎると、うまくいかないことの方が多いんじゃないですかね」

-ご自身の現役時代で印象に残っている監督はどなたでしょうか?

「若手の時ではやっぱり三原(修)さんですね。自分が高校から入団したばかり。三原さんと年齢もだいぶ離れていたので、別格の人という感じでした。グラウンドでは、いつもニコニコしている好々爺みたいな印象でしたが、とにかく選手のことをよく見ているんですよ。そして選手の力をどう伸ばそうかといつも考えていて、大胆なコンバートや選手起用をされていました。自分も若い時は(本職の)キャッチャー以外にショートなどもやりましたけど、それは三原さんが自分のバッティングを買って、もっと試合に出そうと考えてくれていたからだと思います」

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西尾典文

西尾典文

西尾典文/1979年生まれ。愛知県出身。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究し、在学中から専門誌に寄稿を開始。修了後も主に高校野球、大学野球、社会人野球を中心に年間400試合以上を現場で取材し、AERA dot.、デイリー新潮、FRIDAYデジタル、スポーツナビ、BASEBALL KING、THE DIGEST、REAL SPORTSなどに記事を寄稿中。2017年からはスカイAのドラフト中継でも解説を務めている。ドラフト情報を発信する「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも毎日記事を配信中。

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勝っていくうちにチームがまとまった広岡監督時代