松坂大輔の「250球」を伝えた男が歩む新たな道【喜瀬雅則】 (1/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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松坂大輔の「250球」を伝えた男が歩む新たな道【喜瀬雅則】

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元ABCのスポーツアナから高校教諭に転身した清水次郎氏(写真提供:喜瀬雅則)

元ABCのスポーツアナから高校教諭に転身した清水次郎氏(写真提供:喜瀬雅則)

 スポーツアナウンサーから、高校教諭へ。

 異例の転身を遂げた元アナウンサーを訪ねたのは、兵庫県立西宮今津高校。甲子園球場から南へ、徒歩でおよそ15分。閑静な住宅街の中に位置している。

「屋上に立ったら、甲子園球場が見えるんですよ。教師になって最初の赴任先が甲子園にこれだけ近くて、甲子園が見えるところですからね。不思議な感じ、しますよ。あそこで仕事、してたんだなと」

 そう語る清水次郎は、大阪・朝日放送(ABC)で2016年6月の退社まで22年間にわたってスポーツアナウンサーとして実況席から野球を見つめてきた。

 アナウンサーと教師。一見すれば、何の連続性もないどころか、全く違う世界だと言っても過言ではない。しかし、清水にとってはマイクの前で伝えた激闘の一戦一戦が、教師になりたい、高校野球に携わりたい、指導者になりたいという思いを募らせていくための、小さな砂の一粒だった。それが積み重なり、大きな山となり、崩せないほどに大きくなり、清水はいつしか、その山を登ることを決意したのだ。

 その山の“土台“ともいえる、とても大事な、そして、今でも心に焼き付いた強烈な思い出として「胸がちくちくするんです」という一戦がある。

 1998年夏、甲子園の準々決勝。

 横浜高のエース・松坂大輔が一人で250球を投げ切り、PL学園との延長17回の激闘を制したあの一戦だ。

 当時、入社5年目。清水の実力は高く評価されていた。入社2年目の1995年夏、甲子園で高校野球の実況デビューを飾り、3年目からはプロ野球実況にも携わった。

 2002年には夏の甲子園のダイジェスト番組として人気を誇る、ABCの看板番組「熱闘甲子園」のナレーションを担当し、同局のメーンコンテンツともいえる、阪神タイガースに特化した「虎バン」のキャスターも、2004年から11年間務めている。

 甲子園の実況経験でも、松坂大輔の250球、斎藤佑樹対田中将大の延長再試合の激闘となった2006年の夏、早稲田実対駒大苫小牧の決勝戦、2日間・24イニングをラジオで実況したのは清水だった。

 実力派のスポーツアナにとって、延長17回の死闘は、望んでもあり得ないような最高の舞台でもあるはずだ。しかし、26歳だった清水には「不釣り合いな場でした。実力を超えていました」と振り返る。



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