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 職員たちが棒立ちになった国対部屋の一角。安住さんがテレビの前にかがみ、NHKの中継を食い入るように見ながら、携帯電話で誰かと話していた。

 安住さんの選挙区は宮城県石巻市や女川町といった沿岸部だ。やがて津波により、多くの命が失われることになる。

 実は私はその5日前、そこを訪れている。

 けっきょく前原さんは外相を辞めるのか、辞めないのか。その晩に結論が出る事実について、安住さんの感触を探るためだ。

 帰京する先方の車に同乗してJR仙台駅に向かう途中、紳士服をはじめとするチェーン店が道沿いに続く街並みが見えた。

「どこの街も同じような風景になっちゃいましたね」。何げなく言うと、先方も「んだな」と、あいづちを打った。

 その自分のひと言を今、罪深い、と思う。

 その風景は1週間も経たないうちにほかの地方都市と「同じ」ではなくなるのだから。

 ごく個人的なことだが、今の私にとって体調がこれまでと「同じ」であること、身の回りの風景が同じように映ることはありがたい。同じで何がいけないのか。まあ、言いがかりのようなものではあるのだが。

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 震災が起きた時、「ねじれ国会」の永田町にどんな風景が広がっていたのか。以下は私が震災前に書いた署名記事の見出しだ。

「対決国会、『熟議』の兆し 農村振興など、与野党妥協し法成立」 (2010年12月4日付朝刊)
「民主、苦肉の国会戦術 法案成立率向上狙い、ねじれ対策練り直し」(同月8日付朝)

 前者はこう始まる。

「非難合戦が目についた『ねじれ国会』。だが、与野党がねばり強く話し合って合意にこぎ着けた法案もあった。互いのメンツを捨て、国民益を実現するために、わずかに顔を出した『熟議』の芽をどう育てていけば良いのか。すべての国会議員が考えるべき課題だ」

 熟議の兆しへのかすかな希望。その裏に非難合戦へのもどかしさ、政治への強い不信感があったことが言葉の端々から伝わってくる。

 そこに震災が起きたのだ。

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