その次の日、私はノブカズとアキと一緒に、路上での抗議に初めて足を運ぶ。適当に用事をでっち上げて家に帰ることもできたのだけど、何となく行かないといけないと思った。その日は、「U-20デモ実行委員会」という高校生たちを中心としたグループが呼びかけた、特定秘密保護法に反対するデモだった。「U-20」というくらいだから自分より年下の人たちがデモを呼びかけていることはわかっていたけれど、目の前で高校生が政治的な主張をしているのを見たら、今まで自分は何をしていたのだろうという気持ちになった。

 代々木公園のケヤキ並木から出発したデモ隊は、渋谷の街を歩いていく。その日のコールは、「何が秘密って、それが秘密」とか、比較的優しいトーンのものが多かった。それでも最初は声を上げるのをためらっていた。誰も自分のことなんて見ていないのに、外からの視線が気になった。周りを見渡しながら歩いていたら、参加者の見知らぬおじさんに話しかけられた。何を話したかは全然覚えていない。でもおしゃべりしながら、デモ行進するのもアリなのかと思った。デモというと、みんな一斉に声を上げる「集団行動」の場なのかと勝手に思っていたけど、別に参加の仕方はそれぞれなのだとその時に知った。

 デモという形で政治に参加したことは、その後、自分が「当事者」として生きている社会の問題を、きちんと引き受けようとすることとつながっていった。震災を目の前にしても廃炉にならない原発や、戦後の「平和」とはほど遠い沖縄の米軍基地問題、意識すらしていなかった差別意識など例を挙げればきりがない。引き受けようとすればするほど、自分がこれまで何に加担してきたのかを思い知らされるようで恐ろしくなった。

 また個人的な問題だと思っていたことを、社会との関係の中で捉えるようにもなった。例えば、奨学金の問題には、教育への公的支出が世界的に見ても著しく少なく、教育を「自己責任」、あるいは家族の責任としてきたこの国家のあり方が関わっている。そのことは、これまでも何となくわかってはいたのだけど、社会問題と捉えるのは、何となくわがままなのではないかと感じていた。でも個人的な問題に押しとどめることは、自分以外の人、特に将来世代のためにもならないように思えてきた。さらに、奨学金の問題にも関わっている家族主義的な考え方へ意識は、性役割をはじめとするジェンダーの問題にもつながっていった。

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