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松坂大輔、「キャッチャーフライ」に見た“心の原点”

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喜瀬雅則dot.

力投する中日・松坂大輔 (c)朝日新聞社

力投する中日・松坂大輔 (c)朝日新聞社

 平石は、おもむろに右尻のポケットに入れている「黒革の手帳」を取り出すと「えーっと、どこだったかな?」。そうつぶやきながら開いたページの、その冒頭には「3月4日」と記されていた。

「あ、ウィーラーです。そうそう、あのキャッチャーフライの時ですよ。大輔らしいなって思ったんです。いつまでたっても、ああいう気遣いって、変わらないんだなと。それはそれで嬉しかったんですよね、見ていてね」

 楽天・平石洋介一軍ヘッドコーチに「松坂大輔」のことを尋ねたのは、岡山・倉敷で行われた3月9日の対西武戦、その試合前のことだった。同級生がマウンドに立ち、全力で投げていた。

「純粋に言っていいですか?」

 平石は、そう前置きして話し始めた。

「めちゃくちゃ嬉しかったです。まず、その感情でしたね」

 その“5日前の興奮”の中で、最も印象に残ったワンシーンが「ウィーラーのキャッチャーフライ」だった? その「4番打者の凡打」の中に、2人の長きにわたる“関わり”が見えてくる。その謎解きは後述することにして、まずは、平石と松坂の“出会い”を紹介していこう。

 「平成の怪物」と呼ばれる松坂大輔。その野球人生を語っていく上で、絶対に欠くことのできない、エポックメーキングな出来事といえば、野球ファンならずとも、すぐピンとくるだろう。

 横浜対PL学園、延長17回の死闘。1998年夏、甲子園準々決勝。春夏連覇を目指す松坂の前に、名門・PL学園が立ちはだかった。背番号13の平石は、PL学園では珍しいの「補欠の主将」。その卓越したリーダーシップと野球観は、高校時代から折り紙付きだった。

 PL学園から同志社大、そしてトヨタ自動車。まさしくアマのエリートコースを歩んできた平石は、2004年のドラフト会議で、新設されたばかりの楽天から7巡目指名を受け入団。現役生活は7年間と短かったが、引退後すぐに楽天の育成コーチに就任。楽天球団にとっては、生え抜き選手初のコーチ就任だった。2015年には、当時35歳で二軍監督に就任、そして今季からは梨田昌孝監督の参謀役ともいえる一軍ヘッド兼打撃コーチに昇格した。



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