がんで余命3カ月宣告の映画作家・大林宣彦「肺がんと聞いてうれしくて」 (2/4) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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がんで余命3カ月宣告の映画作家・大林宣彦「肺がんと聞いてうれしくて」

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映画作家・大林宣彦さん(左)と肩を組む日本対がん協会会長の垣添忠生さん(撮影/岸本絢)

映画作家・大林宣彦さん(左)と肩を組む日本対がん協会会長の垣添忠生さん(撮影/岸本絢)

■同じ痛みを持つ共感が深まった

垣添:告知を受けたのに?

大林:理由は檀さんです。檀さんは、私の父や尊敬する黒澤明さん、木下恵介さんと同世代です。あの戦争中、思いを自由には語れず、さまざまな断念や覚悟があって、乗り越えてこられた。檀さんの小説を読み解き映画にする資格が平和ボケの時代の私にあるか、とずっとおびえていました。それが、同じ肺がんだとわかったとたん、「ああ、これで資格ができた。同じ痛みを持つ人間として共感できる部分が深まった」と思ったのです。先ほどのミーティングに、檀さんの長男の太郎君が欠席している。電話したら「肺がんになっちゃって。1週間後に手術です」と。太郎君も肺がんだった。「太郎、俺も肺がんだよ」と2人で喜んだ。映画人って、何でも得点法で考えます。

垣添:なるほど。とても興味深いお話です。

大林:2日後に唐津赤十字病院で、「こんなに元気だから大丈夫じゃないですか」と聞いたら、逆に「余命3カ月」と言われました。たった2日で余命が半分になっちゃった。でも、映画の完成までは1年かかる。東京の帝京大学病院の関順彦(のぶひこ)先生を紹介してもらい、現場は息子と同年代の助監督さんに任せて帰京。檀さんと同じで口述筆記で映画を作ってみよう、と。関先生も息子と同年代で、診察のとき、「同じ名前のよしみで、『宣彦おじさん、現場に帰って映画を作ってくださいよ』と言ってくだされば戻れるのに」とお願いしたら、そのとおりになりました(笑)。

垣添:それで、唐津に戻られたのですか?

大林:わが家に一晩泊まってから。タクシーで駅へ行く途中、妻の恭子さんが「わあ、きれい」と声を上げるんです。虹の橋というのでしょうか、あれが3本かかっていました。待ち合わせ場所に着くと、娘の千茱萸(ちぐみ)と婿殿がうれしそうな顔をしている。「おいおい、パパ死にかけてるんだぞ」と言ったら、「パパ、イレッサが効くの!」と。その直前に、病院から連絡があったそうです。イレッサという薬のことは聞いてましたが、ヘビースモーカーで血糖値が高いし、諦めてました。


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