映画作家の大林宣彦さん(80)は2016年8月、肺がんのステージ4と診断された。余命3カ月。新作「花筐/HANAGATAMI」の撮影開始のタイミングだった。それから1年半近くが経ち、映画は完成(昨年12月公開)し、次回作に挑む。がんと共存し、仲良く語り合っているという大林さんに、元国立がんセンター総長の垣添忠生・日本対がん協会会長が聞いた。

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大林:実はがんは2度目なんですよ。5、6年前に前立腺がんになりまして。数値が上がってわかったんです。

垣添:PSA(前立腺特異抗原)ですね。

大林:はい。ちょうど小線源という新しい放射線治療が定着したころでした。

垣添:私は泌尿器科専門なので、事情はわかります。

大林:検査報告を聞くため病院で待っている間、別の患者さんが出入りした際に扉の向こうの先生と一瞬、目と目が合った。先生がハッと目を背けられたんです。あ、悪い結果だなと。その経験があったので、今回は冷静に「またがんか」と。

垣添:なるほど。しかし、前立腺がんと肺がんでは全然違いますよね?

大林:はい。2010年に心臓手術を受けてから、3カ月に1回、レントゲンを撮ってましたが、16年の夏ごろ、骨に異常数値が出た。前立腺がんの転移が疑われ、「花筐」のロケ地、佐賀県唐津市の唐津赤十字病院で検査を受けました。最上階に「ここでシナリオを書けたらなあ」というすばらしい病室がありました。検査の結果、転移ではなく、「肺がん、ステージ4、余命半年」の宣告。翌日から撮影開始で、ミーティングを開く2時間前でした。

垣添:どんなふうに受け止められましたか。

大林:「花筐」は40年前にシナリオはできていました。原作は檀一雄さんで、映画化をお願いしに行くと、肺がんの末期で、遺作となった『火宅の人』を口述筆記されていました。檀さんに「唐津へ行ってごらん」と言われ、すぐに唐津を訪問。だが、原作に「その町はまず架空の町であってもよい」とあるから当然かもしれませんが、物語で重要な鍵となる断崖絶壁など何もないんです。そのうちに檀さんが亡くなり、映画は中止。だから、今回、肺がんと聞いたとたんに、うれしくて体中がふわあっと温かくなりました。

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