垣添:イレッサは、女性で非喫煙者に使えることが多いです。正反対なのに効いたのは、監督のがん細胞に、EGFRという遺伝子変異があったからでしょう。同じ肺がんでも、さまざまなタイプがあるのです。

大林:なるほど。唐津に戻っても、夕食後に錠剤をポンと飲むだけで、あこがれの病室に宿って病院から現場に通っていました。1週間目ぐらいでしょうか。先生がスキップをするように病室までいらして、「大林さん、効いた効いた。ほら、肺がんがないじゃないですか」とレントゲン写真2枚を見せてくださった。おかげで撮影は無事に終わり、東京に戻りました。しかし、去年の4月ごろ腫瘍マーカーの数値がまた上がりだしたのです。脳転移の可能性があり、放射線治療を受けました。そのとき、「飲む点滴です」と、食後に服用する薬を渡されたのですが、ちょっと味覚障害になりましてね。

垣添:放射線治療そのものは首尾よく進みましたか?

大林:髪の毛は抜けました。おかげで頭のがんはすっかりやっつけましたが、「一生分のリミットを当てました。毛が抜けたのも被曝なんです」と言われました。「ちょっと待ってくださいよ。私は広島の人間で、2週間間違えば被曝で死んでいました。それが今、被曝のおかげで生きているというのは、理不尽な矛盾ですね」と言うと、「科学文明とはそういうものです。被曝で亡くなった方もいますが、監督は生き残った。そういう中で、人間は暮らしています。だからこそ、治すことが私の仕事です」と。私は「そうだね。同じ人間が、平和をたぐり寄せることもできるし戦争もしちゃうんですね。医学もそうですね」と答えました。こんな会話で、関先生を大好きになりましてね。

垣添:よくなられて、動揺せずにいられるのは、症状がないからでしょうね。

大林:それもあります。実はがんの話はしないと思っていたんです。ツキを自慢しているようになるのは嫌なので。しかし関先生に、「落ち込んで、自ら病気を引き込んでしまう患者さんもいます。だから監督のような方が、冗談のような口調でも、薬が効いて快適に仕事もやっているという体験を公表したほうが、トータルには患者さんを元気づけることになるのではないでしょうか」と言われて、取材も受けているんです。私、がんとも仲良くなっちゃったんです。「おい、がんよ」と語りかけます。「あんまりいたずらしないで、宿主の俺を大切にしろよ。俺を殺したらおまえも死んじゃうんだからね」と。語りかけているうちに、「ああ、人類も地球にとってのがんだ」と気づいちゃった。自分の欲望で、自分が生きる地球を汚している。「俺も少し我慢して利口になるからな」と話してます。

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