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 ある朝、配偶者の出勤を見送って思った。この風景が明日また繰り返される保証はないんだな、と。考えたくはないが、突拍子もない想像でもない。東日本大震災の津波でも、広島・長崎の原爆でも、「あれが最後の別れだった」という例はいくらでもあった。

 あまり心配していると、永田町・霞が関の半径500メートルにいる政府の人たちは「相手を利するだけだ」といい、野党ならば「危機を利用した政権の求心力維持に利用されている」と眉をひそめるだろうか。取材していたころの自分だってそうだったかもしれない。

 もう一つ考えた。たまたま夫婦一緒に避難できたとする。不安だからと政府の指示範囲を超えて逃げたら、あとで大臣から「自己責任です」と言われたり、支援を打ち切られたりするのだろうか。東京電力福島第一原発事故で放射線の影響を心配し、自らふるさとを離れた人たちのように。

 永田町・霞が関では「ぐるりのこと」を左右する法律や方針が、日々決められている。私はそのことにかつてどれだけ思いをいたしていたか。

 どこにいようと記者にとって大切なのは、目の前にある半径500メートルの内と外をともに見つめ、二つの世界を往復しながらものごとを考えることだ。へとへとになりながら近所を歩いてみた、今の結論である。

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野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

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