「赤穂浅野家の三百余人の藩士の中で討ち入りしたのは四十七人、僅か六・四%である。だが討ち入りしなかった人々が不忠不義だったとは限らない。その中にも勇気をもって信じる道を歩んだ者も多いのである」(堺屋太一『NHKグラフ』)

 仇討を武士の本懐とする少数派の藩士の代表が大石、不忠不義だとは限らない殆どの藩士の象徴が石野だ。まったく生き方が違うふたりの武士が交錯する時代が“元禄”であり、“峠の時代”だったと捉えた「峠の群像」。

 終始うろたえ、戸惑い、ノイローゼ気味になったりする人間臭い人物として描かれた大石を緒形拳が好演している。一方、「お家は組織、家臣の生活が第一」と討ち入りには反対した石野には「草燃える」でスターになった松平健が扮している。従来の「忠臣蔵」には登場しなかった石野の創作によって、「峠の群像」は異彩を放つ“忠臣蔵”となった。

 堺屋氏は番組終了後の対談で、「自分のイメージにぴったりだったのは緒形拳さん、松平健さん、丘みつ子さん」と語っている。特に、丘さんが扮した理玖(りく)は夫、内蔵助の出世欲のなさに反発し、熱烈な教育ママぶりを発揮するという、これまでの理玖とは違った現代的な主婦として描かれている。

 そんな理玖に扮した丘みつ子さんは撮影現場を次のように回想する。

「“忠臣蔵”ですから圧倒的に男性の出演者が多くて、その結束力の固さに女性としては入るスキがないなという感じの撮影現場でした。確かに教育熱心な理玖でしたが、子供に習字を教えるシーンなどでは武家の主はあまり家にいる時間が少ないだろうからそうなるのが自然だなと受け止めていましたね。確かにそれまでの『忠臣蔵』では描かれなかった理玖を描いていると思いました」

 夫の大石を演じた緒形拳さんについては、「浅野家の断絶が決ったとき、理玖を前にして悔しさを露わにするシーンがあったのですが、緒形さんの目から涙、鼻から鼻水、口からよだれがワッと流れ出るんですよ。こんなお芝居ってあるのかとびっくりしました。リアルを求める緒形さんの取り組み方に感動もしました」と語る。

 かつて、そのような大石内蔵助像が演劇・映画・テレビ史上あっただろうか。経済というリアルな視座によって実質経済から金融経済が支配する世の中に移る“元禄”を描いた「峠の群像」は、そんな大石像と勧善懲悪作劇を拒絶した、初めての人間くさい“忠臣蔵”ドラマとして記憶されている。(植草信和)

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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