福島の日々、「それでも」に込めたのは がんと闘う記者 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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福島の日々、「それでも」に込めたのは がんと闘う記者

連載「がんと闘う記者」

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野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、手術。現在は抗がん剤治療を受けるなど、闘病中

 パソコンで「それでも」と打ってから、あれ、と思った。福島を離れて初めてコラムを書いたときのことだ。福島で働く以前は使っていなかった気がしていたが、福島以後の過去の記事を調べると、ぞろぞろ出てきた。

 やっぱり……。しばし感慨にふけった。この接続詞こそ私にとって福島の記憶なのだ、と。当時の日々がひとつの言葉に結晶して自分に刻まれていたのだと気づいた。

  ◇
 私が一線の記者の原稿を直し、最終的に出稿するデスクとして福島総局で働いた2年弱。原発事故で日常生活を損なわれながらも、困難に立ち向かう人々の物語を書いてきたある記者が、原稿でよく使っていた接続詞が「それでも」だった。

 東京電力福島第一原発の周辺に出ていた避難指示がぽつぽつと解除されだした時期だ。だが人々は健康への不安や様々な事情から、誰もがすぐふるさとに帰れるわけではない。その間にも、県外で事故の風化が進んだと指摘された。


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