ブルース/ソウルに深く傾倒してしたトム、フォーク/カントリーにも精通していたパットという、二人のギタリスト/ソングライターの特徴を生かした独自のスタイルを確立した彼らは、1971年に4人編成でデビュー。その後、ドラムスも二人という5人編成にパワーアップしたドゥービーズは72年発表のセカンド・アルバムから「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」を大ヒットさせ、一躍注目の存在となった。なにかと比較されることの多かったイーグルスが「テイク・イット・イージー」で登場してきたのも、この年のことだ。

 その後「ロング・トレイン・ラニン」、初の全米NO.1となった「ブラック・ウォーター」など次々と大きなヒットを放って行き、またこの間に、元スティーリー・ダンのジェフ・バクスターを迎えて、結成当初からの構想でもあったというギタリスト三人の編成も実現させているのだが、しかし75年の春、彼らは大きな壁に突き当たった。バンドの「声」でもあったトムが、体調不良のためツアーから離脱せざる得なくなってしまったのだ。

 このとき、バクスターの推薦もあっていわば応援要員として参加したのがスティーリー・ダンの凖メンバーだったマイケル・マクドナルド。ツアー終了後、マクドナルドは通算6作目となる『テイキン・イット・トゥ・ザ・ストリート』の録音にも参加することとなり(タイトル曲はマクドナルドの作品)、その発表を目前に控えた76年1月、ドゥービーズはトム・ジョンストンを欠いたままで初来日をはたしたのだった。

 事前にそれなりの情報を得てはいたものの、実際にジョンストンのいないステージを目にして、正直なところ、失望した。リズムを強調したギター・プレイからけっこう勝手にいろいろと勉強させてもらっていたこともあり、残念にも思った。「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」や「ロング・トレイン・ラニン」などでの彼のヴォーカル・パートをキーボード奏者が担当していることに違和感も覚えたが、バンドとしてのまとまりや、ハードで緻密な演奏をこなしながらきっちりとヴォーカル・ハーモニーをきめていくミュージシャンシップの高さには素直に感動させられたものだ。

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