政治家でかつらの話題といえば米国のトランプ大統領だ。ユーチューブでは、かつら疑惑を晴らそうと有権者に髪の毛を引っ張らせたり、テレビ番組の司会者に頭をめちゃめちゃにされたりする動画がみられる。

 一部の人たちの間では、かつらが誠実さをはかるリトマス試験紙になっているようだった。「不都合な真実」を隠そうとしていないか。疑惑を晴らそうとする姿勢はあるか。別にかつらだろうと政治をするのに何ら問題ないはずだが、フェイクニュースや、そうしたレッテル張りの風潮を反映しているのだろう。

「半径500メートル」は自宅から最寄り駅までの距離だ。前回にならえば、駅に着いたところで引き返すべきなのだが、いま一度頭を強風にさらそうと、そのまま改札口を通ってホームに降りた。列車が滑り込んでくる。突風が起き、反射的に頭を押さえる。

 車内でも乗客の視線は案外、気にならなかった。かつらだとばれても構わないと開き直っているせいだろう。切実な事情を抱えていれば、そうはいかない。

 二つ先の駅で列車を乗り換えて折り返した。再び「強風スポット」を通り、帰宅した。けっきょく家に着くまでかつらはずれなかった。「かつらが風で飛ばされるのはサザエさんと、ドリフ、昭和のお笑いだけ」。アピアランス・ケアを担当する病院のスタッフの言葉を思い出す。

 医療用ウイッグの購入をサポートする動きは徐々に広がりつつある。東京都港区は今年4月、3万円とかつら購入経費の7割のうち、低いほうを助成する制度を始めた。100人が利用する想定だ。冒頭紹介した参院厚労委では、山本氏がこうした例をあげて「国としての支援」を求めたが、厚労省側は「自治体がどのように支援しているか実態を把握してまいりたい」と答弁するにとどめた。

 どこに住んでもサポートを受けられる社会と、外見を取り繕わずに働ける社会。目指すべきは後者だろうが、そこまで社会が成熟するのは簡単でないことはわかる。

 治療しながら働くには様々な課題がある。「病気だとわかると、それほど親しくない人に一から説明しないといけないのがわずらわしい」という女性秘書にとって、ウイッグは自由を与えてくれるものにほかならなかった。

 かたや私は、病人にみえたほうが気楽だと感じることがある。しんどくて電車の優先席に座るときなどだ。もちろん、仕事や職場のことでわずらわしさがないではないが、それは外見を整えて解決できるものでもない。自分はかぶらなくていい。そう思った。

 部屋の片隅で口を開けていた段ボール箱にかつらをしまい、テープできっちりふさいだ。返送用の伝票を貼りつけ、強風スポットのそばにあるコンビニから送り返した。

著者プロフィールを見る
野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

野上祐の記事一覧はこちら