千葉ロッテは、2005年に「4試合で33対4」のスコアで31年ぶりの日本一を達成した (c)朝日新聞社
千葉ロッテは、2005年に「4試合で33対4」のスコアで31年ぶりの日本一を達成した (c)朝日新聞社

 セパ両リーグのクライマックスシリーズが終了し、今年の日本シリーズは福岡ソフトバンクと横浜DeNAの「IT企業対決」となった。圧倒的な強さでレギュラーシーズンを制したソフトバンクに対して、独走優勝した広島と14.5ゲーム差の3位から“下克上”を果たしたDeNAとの対戦は、あらゆる意味で興味深いものになりそうだ。1950年の2リーグ分裂以降、今年で68回を迎える日本シリーズでは、数多くの名勝負があった。

 長嶋茂雄が巨人に入団した58年、西鉄との日本シリーズでは球史に残る伝説が生まれた。3連敗から4連勝で日本一となった西鉄のエース・稲尾和久は、4連投4連勝の離れ業で「神様・仏様・稲尾様」と言われた。この3連敗後の4連勝という大逆転のシリーズは、28年の時を経て、西武と名前を変えたライオンズに受け継がれた。広島との対戦となった86年は、初戦を延長14回、2対2で引き分けた後、広島が3連勝。しかし、第5戦で投手の工藤公康が延長12回にサヨナラ安打を放って流れを変えると、4連勝で日本一に輝いた。広島の山本浩二が現役最後の年で、最終戦では本塁打を放った秋山幸二がバック中でホームインするなど、話題も多かったシリーズは、史上唯一の8試合シリーズでもあった。
 
 89年にライオンズ以外のチームで、初めて3連敗後の4連勝で日本一となったのが巨人だ。西武との熾烈な優勝争いを制し、悲願の初日本一にあと1勝まで迫った近鉄だったが、第3戦でのヒーローインタビューで、勝ち投手となった加藤哲郎の発言が「巨人は(同年の最下位だった)ロッテよりも弱い」と曲解して報道されたことで、巨人の選手が奮起して大逆転劇につながったと言われた。

 7試合すべてを消化しての激闘もあれば、MLBで「スイープ」と呼ばれる4勝0敗のストレートの決着もある。60年の大毎オリオンズと大洋ホエールズのシリーズは、戦前の評価では榎本喜八や山内一弘などの強打者を擁して「ミサイル打線」と呼ばれた大毎が有利と言われた。しかし、知将・三原脩監督率いる大洋がサブマリン・秋山登の4連投の活躍で、すべて1点差勝利の4連勝で大方の予想を覆した。この時の大毎の監督が西本幸雄で、その後は阪急、近鉄で計8度のリーグ優勝を記録しながら一度も日本一になれず「悲運の名将」と呼ばれた名将の最初のシリーズだった。スイープ決着で印象的なシリーズは、「盟主交代」と言われた西武が巨人を圧倒した90年から、巨人が西武に4連勝のお返しをした2002年、さらには千葉ロッテが阪神を圧倒し「4試合で33対4」のスコアで31年ぶりの日本一を達成したシリーズが印象深い。

 とはいえ、やはり日本シリーズの名勝負、醍醐味と言えば、やはり4勝3敗の激闘で決着がついたものが多い。今年リーグ連覇を果たした広島が、前回の連覇時に近鉄と繰り広げた名勝負は、スポーツノンフィクションの先駆けとも言える名作を生んだ。79年の第7戦、広島が1点リードの9回裏、無死満塁のピンチを切り抜けた「江夏の21球」は、故・山際淳司氏の作品とともに現在も語り継がれている。2年連続で同カードとなった日本シリーズは、いずれも広島の勝利に終わり、西本幸雄監督は翌81年を最後に勇退した。

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