平清盛の死因はマラリアだった? “謎の高熱”を現代の医師が診断

連載「歴史上の人物を診る」

歴史上の人物を診る

朝日新聞出版の本

2017/10/20 07:00

 平家物語はフィクションであり、多分に脚色されているが、右大臣九条兼実(1149~1207年)は『玉葉』で「治承五年二月二十七日 禅門(清盛)頭風を病むと云々」「閏二月三日 禅門の所悩、殊に進み」「四日 夜に入り伝へ聞く、禅門薨去す」とした。藤原定家(1162~1241年)も『明月記』で「去る夜戌の時(午後8時)、入道前太政大臣已に薨ずるの由、所々より其の告げあり。或は云ふ、臨終動熱悶絶の由」と記している。

 高熱の原因としては、肺炎(服部敏良)、脳出血による視床下部性発熱(大坪雄三)などの説もあるが、最も受け入れやすいのはマラリア説(橋本雅一、吉川英治)である。

■マラリア日本にも

 マラリアは古代より知られる原虫感染症である。紀元前323年にはかのアレクサンドロス大王が東方遠征中に熱帯熱マラリアで死亡し、2~6世紀にはローマ帝国のみならず征服者であるゴート族・ヴァンダル族の滅亡にも関与している。ウンブリアやトスカナなど中部イタリアを旅すると、丘の上に美しい中世都市があるが、これは都市間の武力抗争と同時に低湿地の蚊を避ける意義があった。

 1880年にはフランス陸軍軍医のラヴランが患者赤血球中にマラリア原虫を発見、97年には英国陸軍のロスが蚊による媒介を発見している。1943年には特効薬のクロロキンが化学合成されたが、60年代以降クロロキン耐性熱帯マラリアが出現している。マラリアは熱帯病であるが、かつて広く温帯に分布した。日本でも8世紀初頭の大宝律令で「瘧」として、10世紀の『倭名類聚鈔』に「衣夜美」「和良波夜美」の名で記載されている。

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