「なんでそんなひどいこと言うの!」

「君こそ、なんでそんな嫌がらせをするんだ!」

 大喧嘩の後、2人は別れてしまいました。

 何が悪かったのでしょう。一つの問題には常に突っ込みどころは複数ありますが、ここでは「ごはん」という言葉に注目します。日本人なら誰でも知っていることですが、「ごはん」という言葉は「食事」という意味と、「米飯」という意味があります。彼らは留学生、A君は「米飯」という意味のみ、Bさんは「食事」という意味しか知らなかったようです。

 2人は同じ言葉を違う意味で使っているのに、厄介なことに誤解が解消しない程度に意味が近いのです。そのため2人とも誤解があるとは気づかず、かつ自分の理解が正しいと信じて疑っていないのです。これでは混乱が起こるのは当然です。実は、男女のコミュニケーションにも、前回お話しした傷ついた気持ちへの「危機介入」にも必須の「共感」は、そんな誤解が起こっている言葉です。

 共感にはこんな使い方をされています。

(1)当社の企業理念はお客様の共感を得ている
(2)映画の主人公の生きざまに共感した
(3)妻の気持ちに共感しますが……
(4)彼は共感してくれない

 これらの「共感」は内容が明確な別の言葉に置き換えたほうが、意味がはっきりします。

(1)の意味は「同意」「合意」
(2)は「感動」もしくは「同感」
(3)は「理解」
(4)は「同じように感じる」

です。

 これらを2つのグループに分けるとしたら、どう分類しますか? 私は(4)の一部とそれ以外に分けます。それぞれをもう少し解説します。共感とは、「共」と「感」からなります。

(1)の「当社の企業理念はお客様の共感を得た」は意思表示や考えの合致です。つまり<感>ではありません。言葉をどう使おうと自由ですが、私には共感という言葉が、聞こえがいいから使っているように思えます。

(2)「映画の主人公の生きざまに共感した」は、情緒なので<感>ではありますが、映画という刺激によってもたらされた自分の情緒です。実は<共>という概念が入っていません。

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