“しょこたん”こと中川翔子の父・中川勝彦さんは、端麗な容姿の人気シンガーだった。親しい人にも闘病を知らせることなく32歳で亡くなった。しょこたんがまだ9歳のときだった。


 
 あの強靱な肉体をもってしても……、と世間を落胆させたのが、格闘家のアンディ・フグさん。2000年、急性前骨髄球性白血病で35歳で亡くなっている。

 中日阪神で活躍した台湾出身のスラッガー、大豊泰昭さんは、引退後の2009年に急性骨髄性白血病を発症、骨髄移植をうけたが、2015年に死去した。

 そのほかにも、映画監督の溝口健二さん、作家の池波正太郎さん、落語家の桂文治さんも白血病に倒れ生涯を終えている。

 医療は進歩し、白血病治療においても日々新たな発見がなされているが、画期的な治療法はまだ見つかっていない。それでも病を克服し、元気な姿を私たちに見せてくれている人もいる。

 世界を舞台に活躍する俳優の渡辺謙は、白血病患者たちの希望の星だ。1989年に急性骨髄性白血病を発症、化学療法により寛解し復帰するも再発。再び抗がん剤治療を行い、1995年に2度目の復帰を果たし、現在に至っている。昨今、本業以外で世間を騒がせているが、それも健康な体があってこそか。

 タレントの吉井怜は、18歳で急性骨髄性白血病に。母親からの骨髄移植を受け、現在もテレビ、舞台で活動を続けている。女性として抗がん剤や移植の副作用による脱毛に悩んだ過去を後に語っている。

 朝の情報番組のキャスターを務めていた大塚範一さんは、急性リンパ性白血病で番組を降板。臍帯血移植後、現在は療養を続けているようだ。
 
 元宮城県知事の浅野史郎さんは、2009年に、成人T細胞白血病と診断された。骨髄バンクからの提供で移植を受け、現在は論客として活躍している。

 かくいう筆者の私も白血病経験者である。新聞記者時代の2006年に急性骨髄性白血病を発症。化学療法の後、再発。2008年に骨髄移植を受けた。渡辺謙が闘病を語ったインタビューで「自殺を考えたこともあった」と表現するほど、白血病の治療は長く苦しいものだ。それでも、生きているのは、志半ばで逝った“戦友“たちの思いを伝えていくためだと思っている。夏目さんが亡くなったこの日を迎えるたびに、ふとそんなことを思う。

(文/今田俊)

今田俊(いまだ・しゅん)/1968年、東京都生まれ。フリーライター、女性週刊誌記者などを経て、2001年、朝日新聞社入社。以後、「週刊朝日」編集部、編集局経済部、アエラムック教育編集部次長を歴任し、16年4月から朝日新聞出版医療健康編集部部長