セ・リーグでは、90年代に『暗黒時代』と言われた阪神の中心選手だった和田豊の右打ちも見事だった。「ライトへ引っ張る」という極意は、監督時代に同タイプの選手に伝承されたが、習得できる選手も少なかった。

 その他にも、野村ID野球のキーマンとなった宮本慎也、長嶋茂雄監督から「クセ者」と呼ばれた元木大介、星野仙一監督時代の中日で、リーグ優勝に貢献した仁村徹なども、個人的には推したい選手だ。

 右打ちと言うと、どうしても2番打者や巧打者タイプを思い浮かべてしまうが、右方向へ長打が打てるスラッガーも忘れるわけにはいかない。

 昨季25年ぶりにリーグ優勝した広島が、70年代後半から80年代にかけて黄金時代を築いた際に不動の4番打者だった山本浩二は、左足を三塁方向にステップして、右中間方向へ大きな当たりを飛ばす打者だった。現役最後の年に出場した日本シリーズで、東尾修から狭い旧広島市民球場の右中間スタンドへ放った本塁打は、象徴的な一打だった。

 同じように、アウトステップから右方向へ長打を連発し、三度の三冠王に輝いた落合博満の右打ちも強烈だった。こちらも狭い川崎球場を本拠地に2シーズン連続で50本塁打を記録するなど、ライトスタンドへ放物線を描いて飛び込む本塁打は芸術的と言えるものだった。

 2000年代では、巨人の二岡智宏も逆方向へ大きな当たりを飛ばす打者だった。プロ2年目の2000年、リーグ優勝決定試合で東京ドームの右中間スタンドに飛び込んだサヨナラ本塁打は、強烈なインパクトを残した。

 その他にも、強靭なリストからのフルスイングで右方向への本塁打が多かった中村紀洋や、巧みなバットコントロールで捕手として首位打者に輝いた古田敦也の右打ちも印象深い。

 そして最後に、忘れてはならないのが清原だ。チーム打撃に徹したが故に、タイトルには縁がなかったと言われた「無冠の帝王」の右打ちの技術は、他の追随を許さないものがあった。オリックス時代の06年、横浜のクルーンから放ったサヨナラ満塁本塁打。スカイマークスタジアム神戸(当時)のライトスタンドに飛び込んだ一発の衝撃は、伝説とも言うべきプロ野球史に残る一打だった。