荒木とコンビを組んでいた、中日時代の井端弘和(c)朝日新聞社
荒木とコンビを組んでいた、中日時代の井端弘和(c)朝日新聞社

 中日の荒木雅博が、6月3日に通算2000安打を達成した。今季でプロ22年目を迎えた荒木は、職人芸とも言える二塁守備で、2000年代に入り4度のリーグ優勝を果たしたドラゴンズの中心選手として活躍した。過去の2000安打達成者では最少となる通算本塁打33本という数字が示すように、典型的な巧打者タイプである荒木は、名人芸とも言える右打ちで、相手投手に嫌がられる存在であり続けている。

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 右打者の逆方向の打球、いわゆる「右打ち」には、左打者のレフトへの流し打ちとは、またひと味違った趣がある。プロ野球史に残る「右打ちの名人」を挙げながら「史上最高の右打ち打者」は誰なのか、探ってみたい。

 古くはプロ野球創世記に、巨人の二塁手として活躍した千葉茂の名が挙がる。「インローの難しい球を右に打ってこそライト打ち」と本人が言うように、1949年のシーズンでは、内野安打を除くヒット153本中、レフト方向への安打は8本のみで、残りは全てセンターからライト方向への安打という記録を残した。さらに50年から54年まで、39本連続でライト方向に本塁打を放つなど、通算96本塁打のうち、81本が右方向という逸話も持つ。

 ただ、ここまではっきりと数字にも表れている打者は希少で、さらに昭和30年代、40年代の選手に関しては、昭和40年代生まれの筆者には、残念ながら記憶がない。オールドファンには申し訳ないが、ここでは昭和50年代、1980年代以降の選手を候補に挙げることにする。

 右打ち、と言われてまず頭に思い浮かぶのが、荒木とコンビを組んだ井端弘和だろう。走者を進めたい場面での狙いすましたような一、二塁間への打球は、落合博満監督時代の「強い中日」の象徴的な存在だった。

 80年代から90年代に黄金時代を築いた西武の辻発彦も印象深い。清原和博、秋山幸二、石毛宏典など、スター選手が揃う強力打線の中で、走攻守揃ったつなぎ役の2番打者として、「盟主交代」と言われた西武の緻密な野球を可能にした。

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