オリラジ中田敦彦が松本人志に仕掛けた情報戦の勝算 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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オリラジ中田敦彦が松本人志に仕掛けた情報戦の勝算

連載「道理で笑える ラリー遠田」

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ラリー遠田dot.
バトルが勃発中の松本人志とオリラジ中田敦彦(右) (c)朝日新聞社

バトルが勃発中の松本人志とオリラジ中田敦彦(右) (c)朝日新聞社

 松本は90年代と00年代にお笑い界の覇者として君臨し、存在そのものが権威になっていった。今のお笑い界で正統な芸として認められているのは「漫才、コント、大喜利」の3種目。いずれも、松本が得意としていて、松本がその価値基準になっているものばかりだ。実際、松本は漫才の大会である「M-1グランプリ」、コントの大会である「キングオブコント」で審査員を務め、大喜利の大会「IPPONグランプリ」でもチェアマンという地位に就いている。

 中田自身も、過去に漫才のネタを作り続け、何度も「M-1グランプリ」に挑んできた。しかし、真剣に取り組んでいるうちに、自分たちには才能がないから勝ち目がない、ということに気付いた。そこで、「歌ネタ」という得意分野を突き詰めていき、現在のお笑いの価値基準とは違うフィールドで勝負するしかない、と考えたのだという。

 中田がこのような発言をする背景には、明らかに「松本人志の呪縛」がある。

 中田のように、90年代半ばのダウンタウン全盛期に中高生だったお笑い好きの人間にとって、その権威は絶対的なものだった。松本は、単に面白いものを提供していただけではなく、「これが面白い」という価値観を示していた。それが下の世代に大きな影響を与えたのだ。

 同時に、その圧倒的な存在感が芸人たちを苦しめることにもなった。漫才、コント、大喜利など、何をやっても松本の手の平の上で踊らされていることになる。そこから脱するためには、松本とは別の価値観を提示して、お笑いの既成概念を覆すしかない。中田は松本そのものを批判したかったわけではなく、松本が「笑いの権威」と化している現状を指摘して、自分がそれとは違うフィールドで戦っていくという覚悟を示しただけなのではないだろうか。

 年功序列の意識が強い日本のお笑い界では、後輩芸人は先輩芸人に何があっても逆らってはいけないとされている。だから、こういうことがあると、発言の内容を問わず、業界内では立場が下の者に対して批判的な声が高まることになりやすい。


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