没後10年 ZARD・坂井泉水との最後の会話 ビーイング創業者 長戸大幸 (5/6) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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没後10年 ZARD・坂井泉水との最後の会話 ビーイング創業者 長戸大幸

永遠の歌姫 ZARDの真実 第1回

神舘和典dot.#永遠の歌姫ZARDの真実
本連載で初公開する坂井さんのショット

本連載で初公開する坂井さんのショット

坂井さんが残した歌詞ノート

坂井さんが残した歌詞ノート

 このように8ビートのロックやグルーヴが好きだった。

 長戸氏は曲のテンポよりもちょっと遅いタイミングで歌う坂井さんに天性の才を感じたという。

「リズムがちょっと遅れるので、歌詞が非常に伝わってきます。これはわざとというよりは天性のものに近く、コーラスの人が合わせるのはかなり大変でした」

 だが、不得手もあった。16ビートだ。

「苦労していました。ラップにもチャレンジしたものの、率直に言うと、下手でした。ところが、1990年代後半くらいから日本の音楽シーンでは16ビートが受けるようになったので彼女は、苦しみました。それが2000年から彼女が1年半ほどの休養期に入った理由の一つです。1997年の『My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~』には当時の心情がつづられています。“記憶喪失に いっそなればいいと 立ち直るまで ずいぶん 長い時間がかかった”の行は彼女の本音だったと思います」

 そんな中、ZARDのヒット曲で、エヴァーグリーンになりうる曲にはどんな要素があるのだろう――。

「それは表裏の二面性を持つ楽曲でしょう。たとえば代表曲の一つである『負けないで』は、タイトルの通り“応援歌”としてヒットしました。でも、それだけではありません。歌詞には切なさもにじみます。愛する相手の夢の実現のために身を引く女性の歌でもあるからです」

 ラストレコーディングとなったのは「グロリアス マインド」――。

「体調が悪いままレコーディングに来て歌を録音しましたが、聴かせてもらった声には凄みがありました。彼女に訊いたら『体調は悪くても歌う時だけは元気が出た』と話していました」

 ZARDと長戸氏の別れは突然訪れた。

 2007年5月27日、坂井さんは、東京・信濃町の慶応病院に入院中に高さ3メートルのスロープから転落し、後頭部を強打。不慮の事故でこの世を去る。子宮頸(けい)がんが肺へ転移し、その治療のための入院だった。

 長戸氏が最後に会話を交わしたのは、亡くなる2日前の5月25日。

「退院したらレコーディングをしよう」

 電話で約束をしたという。


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