――2007年など、何度か来日されたそうですね。

 何度か日本に行ったが、「スターダスト」で行ったのが最後だ。すごく楽しかったよ。築地市場を訪ねる機会があったんだ。早起きして5時に行った。驚くべき体験だったな。また日本に行きたいよ。才能ある日本人クリエイターと一緒に仕事ができる機会でもあるし。例えば天野喜孝さんとか。

 彼とは「サンドマン」の本を一緒に作ったんだが、彼も素晴らしいアーチストだよ。僕が書いたデヴィット・ボウイのショートストーリーに絵をつけてくれたんだ。ボウイが他界する以前のことだよ。天野さんとは2004年にその制作にとりかかったんだ。

――2002年に「アメリカン・ゴッズ」を出版した時、いつしか映像化されると想像しましたか?

 一切なかった。それは不可能だと思った。その理由のひとつに、1996年から1998年にかけて僕はずっと脚本を書いていた。どれも120分という枠の中で物語を語る、という仕事でそれに飽き飽きしたんだ。だから分厚い本、それもあちこちいろんな場所に行くような本が書きたくなったんだ。

 出版された後も、いろんな映画監督から読んですごく気に入った、どうやって映画にしたらいいかと質問も受けた。僕にだってまったく見当がつかなかったよ。当時はテレビでこれをドラマ化するなんてことは、不可能に思えた。技術的にも困難だったし、内容も性的、暴力的な部分もあり、それも問題だと思ったしね。

――ところが状況が変わったんですよね。

 そう、状況が変わったんだ。今や僕らはテレビの黄金時代の真っただ中にいる。長編映画予算と同じくらいの予算で、8時間の映像、この本の3分の1くらいの内容を作れるんだ。驚くべきことだよ。こんなことが実現するって想像したか? 答えはノー! そんなことは思いもよらなかった。ところが今現実してみると、物事というのは季節がくれば開花するんだなという事だよ。10年前に時間をかけてこれを映画化しようとしなくてよかった。

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