新生なでしこの中心として期待される猶本光(写真:Getty Images)
新生なでしこの中心として期待される猶本光(写真:Getty Images)
東京五輪の主役として期待の猶本光(写真:西森彰)
東京五輪の主役として期待の猶本光(写真:西森彰)

 1月中旬、寒波が襲った東京(うち1日は埼玉)で、なでしこジャパンの2017年度最初の合宿が行われた。高倉麻子監督が招集した28名の中に、猶本光(浦和レッズレディース)の名前もあった。

【写真】“才色兼備”のボランチ、猶本光

 2004年のアテネオリンピックのアジア予選で、3万人を越える大観衆を国立競技場に集め、その眼前で北朝鮮を3-0で破った日本女子代表。公募で「なでしこジャパン」という愛称がつけられた彼女らは、ギリシャで行われた五輪本大会でもベスト8に進んだ。日本サッカー協会(以下JFA)は、沸き上がった「なでしこブーム」を一過性のものにしないため、男子同様、女子選手の育成にも力を入れ始めた。各地域の指導者から推薦された金の卵が一堂に集められる、ナショナルトレセン女子U-15もそのひとつだ。2007、2008年のナショナルトレセン女子U-15に参加した猶本は、ここで、その才能を発掘された。

 「アルキメデスの原理」のヒントを風呂場で得たアルキメデスは、歓喜のあまり「ヘウレーカ!(見つけた!)」と叫びながら、裸で街を駆け回ったと伝えられる。ナショナルトレセンを視察したJFAの強化担当者も、紀元前の天才学者もかくやという勢いで「見つけたよ!」と、私の肩を叩いてきた。「九州の子」という第一ヒントで、すぐに猶本の名前が頭に浮かんだ。その年の夏、クラブの練習取材で福岡J・アンクラスを訪れた際に、河島美絵監督(当時)からその存在を教えられていたからである。

 JFAと周囲の期待に応え、猶本は順調に成長していった。なでしこジャパンは、若い頃から、上の年代や男子と対戦してきた選手がほとんどだ。体力面では絶対叶わない相手と戦うことで強い負荷をかけられ、これを乗り越えるために工夫し続ける。猶本も、通っていた福岡女学院で、中学時代は高校生と競い、やがて同校と関係の深い福岡J・アンクラス(現・チャレンジリーグWEST、猶本在籍時には、なでしこリーグ1部に所属)でトップチームへ昇格。大人に交じってトレーニング、試合をこなしながら“自分よりも大きく速い相手”への対処法を身につけていった。

 その真価は、世界を相手にも発揮される。まず、2010年、トリニダード・トバゴで行われたFIFA U-17女子W杯で全試合に出場。決勝では韓国にPK戦で敗れたものの、銀メダルを獲得した。日本の女子代表全カテゴリーで、FIFA主催トーナメントの決勝に進出したのは、これが初めての快挙だった。

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