おみくじとは古来、占いの一種であったといわれている。占うのはおもに神の意思だった。動物の骨や亀の甲羅を焼いた際に生じるひびや割れ方によって神の考えを推し量り、星の動きから神のお告げを想像したのだ。だから占いを担う巫女(みこ)やシャーマンは、しばしば政治的な指導者でもあった。いまでも、政治家が影で占い師に頼っているなんてあやしげなニュースが流れたりするが、いつの時代も政治的決断には神頼みをしたいほどのプレッシャーがかかるということなのかもしれない。

 ちなみに鎌倉時代を開いた将軍、源頼朝はおみくじ好きだったといわれている。源氏の守護神といわれる鶴岡八幡宮の移転先を、くじで決めたという逸話もあるくらいだ。

 稲作がはじまった弥生時代には、田に水を引く順番を決めるためにくじを利用したという説もある。水田を維持するためには膨大な水が必要だが、灌漑(かんがい)施設などが整っていない古代では、水をキープすることは死活問題。だからこそ、くじをつかって平等に、慎重に順序が決められたという。

 こうした人間の力のおよばない領域や未来のことを少しでも知るために、道を照らす明かりのように、人類はくじに頼ってきた。いつの世も物事を決めるときや、新しく一歩を踏み出すときには、悩み、迷うもの。そんなときはくじを引いてみて、その内容を信じて行動してみるのも、ひとつの方法ではないだろうか。世間を少し楽に生きていくための、くじは方便といえるのかもしれない。(文・室橋裕和)