と、ここまで記して想起したのが、宮市亮のケースだ。高校在学中の18歳のときにアーセナルへの加入が発表され、英国労働ビザの基準を満たしていないことから、オランダのフェイエノールトにレンタル移籍した。ここで、12試合に出場、3ゴールと活躍。順風満帆にキャリアをスタートさせたが、労働ビザ取得に伴いアーセナルに合流すると出場機会が失われていった。アーセナルでの通算出場記録は、途中出場を入れても7試合。不運な怪我も重なり、選手として一番伸びる時期に実戦から遠ざかってしまった。

 また宮市の場合は、レンタル移籍の難しさもあった。4-2-3-1を使っていたボルトン時代(11-12シーズンの後半戦)は、左右両サイドが主戦場の宮市のプレースタイルに合致していたが、翌シーズンにレンタルで加入したウィガン(12-13シーズン)は両翼を配置しない3-4-1-2を採用。中盤「4」の左右両サイドは、守備時にDFラインに吸収されるウィングバックであり、ウィンガーの宮市が得意とするポジションではなかった。宮市はそのウィングバック、もしくは2トップの一角という不慣れなポジションにまわった。

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