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「一日が一生」壮絶な人生を歩んだ大阿闍梨 最期の言葉

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続・一日一生

酒井雄哉著

978-4022735515

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 仕事、結婚、子育て、介護などライフステージの変化が伴う人生には、新たな悩みや不安が絶えないもの。その向き合い方に苦心している人も多いかもしれません。

 現代の「生き仏」とも称された天台宗大阿闍梨の酒井雄哉さんは、著書『続・一日一生』の中で、「一日が一生、今日のことは今日でおしまい。明日はまた新しい自分になって、新しい感覚で進んでいけばいいんだ」と語っています。

 酒井氏は、比叡山延暦寺の荒行「千日回峰行」を2度満行。比叡山の峰や谷を一千日かけて巡り、礼拝し続ける修業は、総走行距離は地球1周分に相当する約40万キロ近くに達する過酷なもの。2度成し遂げた人は、400年間で3人しかいないそうです。

 酒井氏の人生も、修業のように壮絶だったといいます。志願して予科練の少年航空兵になり、特攻隊基地に配属され終戦を迎えた後、株屋やラーメン店、セールスなどの職を転々。妻は結婚してわずか2カ月後に自殺。人生の辛酸をなめた酒井さんは、導かれるように比叡山に向かい39歳の時、得度。そんな酒井さんの言葉は、心にしみいります。

「どうしようもなくなったら、空っぽになってみるの。しらっと、とぼけちゃって、自分をちょっと外から静観してみるとかさ」

「いつ死んでも、人間として恥ずかしくない生き方をしていたら、それでいいのとちがうかな。投げやりではなく、静かな覚悟ということ」

「修業って、寺でやるものだとみんな思うけど、人は生きること自体、すべて、行なんだよ」

 本書は、15万部以上のベストセラーを記録した前作『一日一生』の続編。今回は生きる上で避けては通れない「生老病死」について、「戦争」や「修業」など酒井さん自身が経験した出来事を振り返りながら真の意味を説いています。

 酒井氏は2013年9月23日、「生老病死」のすべてを歩み、仏さまのもとへと向かわれました。酒井氏が残した珠玉の言葉の数々は、これから歩み続ける多くの者の人生に希望をもたらすに違いありません。


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