古賀 ああ、その感覚、よくわかるなあ。『嫌われる勇気』を書くときも、アドラーの教えをすべて1冊に入れることはできないから、内容を取捨選択する必要がありました。そのときに僕が指針にしたのは、「はじめてアドラーに触れた20代の自分は、どこに揺さぶられたのか」。逆に言えば、そうではない部分は省こうと考えたんです。


 具体的に言うと、『嫌われる勇気』で省いたのはアドラーの語る「教育」についての話です。20代の僕にとって、教育は切実な問題じゃなかったんですね。2作目の『幸せになる勇気』をつくるときには自分の会社もつくって、教育について真剣に考えるようになっていたのですが……。少なくとも若造だった自分は、アドラーの本を読みあさるなかで、教育に関しては飛ばし読みしていたところもあったでしょう。一方で、より切実な内容は何度も繰り返し読んでいた。その原点を見失わないように気をつけたのは、きっと羽賀さんと同じだと思います。

●「1937年」で重なる2冊

柿内 この2冊は、内容的にも似ているところが多いんです。まず、誰が読んでも「自分ごと」として読めること。アドラーでいえば対人関係の悩みがそれにあたりますし、『君たちはどう生きるか』でコペル君が直面するような後悔だって、誰もが経験したことがあるはずです。僕自身、「自分のことが書いてある」と感じながら編集していました。

岸見 ええ。私も、原作版の『君たちはどう生きるか』は若いころに読んでいたのですが、こうした2冊を並べると、無意識のうちに吉野源三郎氏の影響を受けておふたりと『嫌われる勇気』をつくったんじゃないか……と思うこともあって。それくらい内容的な近さを感じています。

柿内 アドラーの「共同体感覚」と『君たちはどう生きるか』で紹介される「人間分子の関係、網目の法則」も、とても似た概念ですしね。もしかしたら……原著者の吉野源三郎さんはアドラーを知っていたんじゃないかって思えるんですよ。

──アドラー没が1937年、『君たちはどう生きるか』が書かれたのも1937年。時代的にあり得ない話ではありませんね。

岸見 もちろん吉野源三郎の時代、アドラーの著作は日本で翻訳されていません。しかし、当時の知識人はいま以上に英語やドイツ語の学術書に慣れ親しんでいましたから、吉野源三郎がアドラーの著作に触れていたとしても不思議ではないでしょう。

柿内 吉野さんがアドラーの考えに触れていたとしたらおもしろい話ですし、同じ時代、戦争という大きな変化に直面した人たちが「どう生きるか」を考え、たまたま似た結論に辿り着いたとしたら、これはすごいことですよね。

岸見 アドラーは第一次世界大戦に軍医として参加していますが、「戦争は反共同体感覚であり、安直な解決策にすぎない」と反戦の立場でした。彼はもともと政治によって世の中を変革しなければならないと考えていたけれど、戦争が喫緊の社会課題となるなかで教育こそが世の中を変えると考えるようになり、個人心理学を創始した。アドラーの教えのきっかけは、戦争だったと言えるわけですね。

古賀 戦争が迫っていたのは、1937年の日本も同じです。『君たちはどう生きるか』というタイトルは、この時代だからこそ生まれたのかもしれない。まさに読者の勇気を問いかけるタイトルです。

柿内 本当に、胸ぐらをつかまれるような、とてつもなくストレートな問いかけですよね。

岸見 こういう問いには、簡単には答えが出せません。そもそも古典とはそういうもので、一般的な答えが書いてあるわけじゃない。じゃあ自分はどう生きるのかと、読み終わったときに「始まる」のが、古典なのでしょう。