●2012年春に敗戦は明確に銀行に翻弄され続けたシャープ

 シャープの黄金時代を演出したのが町田勝彦氏であることは疑う余地がない。彼は12年春に敗戦を自覚すると、シャープを鴻海に託すことにした。液晶部門をジャパンディスプレイに合流させる道もあったが、「親方日の丸」の下だとシャープは腐ると見切って、却下したのである。

 ところが、町田勝彦会長と片山幹雄社長が引責辞任し、あとを継いだ奥田隆司社長が翻意する。奥田氏は鴻海を遠ざけ始め、邦銀に接近した。銀行の支援条件を満たすべく、社員数を3000人以上も減らし、平均年収を80万円も削ったが、止血に失敗し、皮肉なことに自ら呼び込んだ銀行に1年で引導を渡されてしまう。そしてシャープの漂流が始まった。

 奥田氏のあとに高橋興三社長が登板しても、もう路線を変える余地はない。シャープが銀行に翻弄される様は周知のとおりである。

 すでに12年春の時点で、シャープは敗戦処理を必要とした。それなのに自主再建路線を選んだ奥田氏の錯誤は、このうえなく高くついたと言わざるをえない。

●4年間の半端な延命策で8500億円を無駄にした

 表はシャープのバランスシートを4つの断面で切り取ったものである。A列は黄金時代最後の通期決算で、この翌年度にシャープは史上初の営業赤字を記録する。B列は2度目の営業赤字を出した通期決算、C列は3度目の営業赤字を出した通期決算、D列は直近の四半期赤字決算に呼応する。A列とB列の差分は、町田勝彦会長と片山幹雄社長による再起の努力を反映する。同様にB列とC列の差分は奥田隆司社長、C列とD列の差分は高橋興三社長の経営成果に相当する。

 A列とB列の間でシャープは400億円近い営業利益を稼ぎ、5000億円弱の最終赤字を計上した。B列の時点で企業価値の7割が消え去っている。奥田氏以降は1000億円以上の営業赤字に陥り、8500億円強の最終赤字を出してしまった。自ら膨らませた夢を萎ませて企業価値を大きく毀損したのは町田―片山ラインであったが、シャープの自己資本を毀損して債務超過に追い込んだのは奥田―高橋ラインである。

 こうして過去の経緯を一望してみると、やはり12年の春が大きな岐路であったことがわかる。そこで鴻海の傘下に入っていれば、シャープは追加で8500億円もの赤字を出さずに済んだかもしれない。残念ながら、自主再建の道を模索していた4年の間に、銀行が注入した約6000億円は蒸発してしまったに等しい。まさに焼け石に水である。仮に銀行が債権を放棄しても過ぎた時間は二度と戻って来ない。企業体として、もうシャープは終わっている。

 仮に銀行の債権放棄なしで鴻海が7000億円を注入しても、シャープが12年3月末の財務基盤を取り戻すには遠く及ばない。銀行の債権放棄を前提に産業革新機構が3000億円を注入しても、大同小異である。「かつてのシャープ」は、いまや蜃気楼に等しいのである。

 収益源を失ったあとの問題の先送りは、雪だるま式に損失を膨らませてしまう。これは、他山の石とすべき教訓であろう。敗戦処理は後ろ髪を断ち切って、とにかく早く大胆に動かなければならないのである。

 その点で、問題を先送りすることなく、ルノー傘下での再建を選んだ日産自動車の塙義一社長(当時)は偉かった。その教訓を学び損ねたシャープは、残念というほかはない。