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諸河久
諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数
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55年前「銀座」から名物都電が消える日 高度経済成長期に役目を終えた銀座線「有終の美」
鉄道写真家の諸河久さんが4年半にわたってお届けしてきた50年前の都電とその街並みを振り返るこの連載は、今回が最終回。このコラムで紹介してきた写真はこれまで諸河さんの著書などで掲載されることはあったも
AERA
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55年前の色鮮やかな「銀座」 混み合う銀座通りを走る都電が女性に“ご贔屓”にされた理由
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は1967年12月9日限りで姿
AERA
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「銀座」の都電をデパートの屋上から撮影してみた59年前 昭和が賑わう東京随一の街並み
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は「三越百貨店・銀座支店」屋上
AERA
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「赤坂見附」のきつい上り坂に挑む59年前の都電 広大な丘陵地の前に現在そびえる建物とは
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は赤坂見附の交差点を都電が縦横
AERA
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わずか11年しか走らなかった「都電志村線」 板橋の住民に愛された56年前「運転最終日」の情景
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は都電最後の新設系統となった4
AERA
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サンフランシスコで躍動感あふれるケーブルカー 鉄道写真「露光間ズーム流し撮り」とは?
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回は路面電車の走行感を強調する鉄
AERA
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都電荒川線、函館市電など路面電車「流し撮り」 プロの鉄道写真家がこだわる3つの“秘訣”
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回は坂路を利用した「浮かし撮り」
AERA
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「橋の上停留所」は横浜にもあった! 59年前「平沼橋」で撮影した路面電車と相鉄線
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回に引き続き、本年3月に廃止50
AERA
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ブルーバード310やヒルマンミンクスを横目に坂をひた走る! 57年前「横浜」の路面電車
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。前回に引き続き、本年3月に廃止50
AERA
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55年前、都電「芝浦工場」でしか走らない希少な車両 「岡本太郎」デザインの都バスとは?
1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。5月14日に配信した記事『東京・芝
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