Album Review:トレイシー・ソーン『ソロ:ソングス・アンド・コラボレイションズ 1982-2015』 この年の瀬に振り返りたい、そのキャリアの奥行きと普遍性
Album Review:トレイシー・ソーン『ソロ:ソングス・アンド・コラボレイションズ 1982-2015』 この年の瀬に振り返りたい、そのキャリアの奥行きと普遍性

 あるアーティストのベスト盤が、特別な価値をもたらすことは珍しい。そのアーティストの熱心なファンにとってみれば尚更で、たとえば既発の代表曲に新曲を追加したり、レア・ヴァージョンやリミックス音源を収録したり、あるいはリマスターを施すなどして、新しい付加価値を見出す場合がほとんどだろう。ここで紹介するトレイシー・ソーンの作品も、過去に彼女が関わった楽曲群のコンピレーションである。ただ、彼女の足取りを追っているという理由だけで、クオリティにおいてもポップ史的な重要性においても、名盤と呼ぶべきアルバムが完成していることには驚きを禁じえない。

 かつてベン・ワットと共にエヴリシング・バット・ザ・ガールとして多くの名曲を残したトレイシー・ソーンは、EBTG以前にもマリン・ガールズの一員として2枚のアルバムを、ソロ名義でも1枚のアルバムを残している。今回のコンピレーションは、表題どおりにトレイシー初のソロ作から、コラボ曲を含めた今日までの楽曲群を厳選した内容だ。オープニングを飾るのは2010年のシングル「Oh, the Divorces!」で、30年以上に及ぶ彼女のキャリアの中では近作に位置する、大人の愛がテーマの一曲だ。これだけでも、本作がノスタルジーに浸るための作品ではないことが分かる。

 以降はシングルのカップリング曲やアルバム曲も含めて、キャリアを俯瞰しつつ楽曲を厳選しているのだが、興味深いのはトレイシーによる多くのカヴァー曲が採用されていることだ。ケイト・ブッシュの「Under the Ivy」、モノクローム・セットの「Goodbye Joe」、さらにはスフィアン・スティーヴンスの「Sister Winter」、ヴァンパイア・ウィークエンドの「Taxi Cab」といったふうに、自分が歌えば自分の作品になる、とでも言わんばかりの思い切った選曲が施されている。個性の滲み出る名演をすくい上げるためのコンピレーション、とでも言えばいいだろうか。ザ・スタイル・カウンシルに客演した「The Paris Match」が収められているのも嬉しい。

 このコンピレーションはCD形態では2枚組であり、ディスク2のオープニングに当たるのはマッシヴ・アタックの「Protection」。1990年代にUKダンス・ミュージックが隆盛を迎えた頃、トレイシーはチルアウト・シンガーとして重宝されることになる。その経験はEBTGの活動にもフィードバックされるほど濃いもので、今回のコンピレーションではアダム・Fとのドラムンベース曲「The Tree Knows Everything」や、ティーフシュワルツのテクノ「Damage」なども収録。ディスク2にはトレイシー作品のリミックスも数多く含まれており、さながらダンス・ポップ・アルバムとしての性格を打ち出している。懐メロという切り口だけでは到底計りきれない、トレイシー・ソーンのキャリアの奥行きと普遍性を伝える作品だ。(Text:小池宏和)

◎リリース情報
『ソロ:ソングス・アンド・コラボレイションズ 1982-2015』
2015/11/13 RELEASE
HSU-10054/5 2,484円(tax in.)