那覇市内にあった雑貨店の様子。庶民が日常的に生活物資を買い求めていた市場とは雰囲気が異なる。1935年当時から、沖縄にも商品経済の波が訪れていたことが見て取れる (C)朝日新聞社
沖縄の特産品として戦前に多く生産されていたパナマ帽を作る人々。素材となるアダンなどの植物は湿られせると編みやすいため、湿度の高い洞窟内などで製作されることがあった (C)朝日新聞社
突然の雨。慌てて雨かっぱをかぶったり、傘を差したりして、自転車にまたがり、家路を急ぐ女子学生たち。沖縄本島北部にあった県立第三女学校(通称・三高女、現・名護高校)の生徒と思われる (C)朝日新聞社
現在の糸満市糸満の高台から見下ろした集落の様子。軒を連ねる家々のほとんどが赤瓦屋根で漁村の豊かさを伝える。路地の突き当たりには船だまりがあるが、現在は埋め立てられている (C)朝日新聞社
糸満の浜。麦わら帽子をかぶり、ダツなどの魚を運ぶ漁師。左側をはだしではしる子の足元辺りは地ならしされているが、さらに奥は砂場のように地面が波打っている。漁師に隠れている荷馬車は、干潮時の浅瀬から砂を運び、埋め立てに使ったという証言がある (C)朝日新聞社