沖縄戦で失われてしまう前の、日常の風景を写したネガが大量に発見された。モノクロの写真が映し出すのは、悲しく暗い「地獄絵図」の沖縄なんかじゃなかった。たくさんの魚を担ぐ漁師、セーラー服の女の子たち、洗練されたデパートの様子……。素朴な笑顔と、質素ながらも豊かに暮らす様子は地元の人たちをも驚かせたという。この写真が撮影された当時の様子を取材した地元紙の記者たちが「写真集 沖縄1935」(朝日新聞出版)に掲載された写真の中から、地元でも衝撃の大きかった5枚を紹介する。
* * *
今回、277コマのネガが見つかったのは朝日新聞大阪本社。長い間、眠ったままだったものが社屋の引っ越しで偶然発見され、1935年に大阪朝日新聞のカメラマン藤本護氏が撮影したものだとわかった。それをもとに地元紙・沖縄タイムスの記者たちが地域のお年寄りや専門家など100人を超える人から聞き取り、当時の様子を明らかにしてきた。
戦争ですべてが破壊される前の日常の沖縄の姿は、地元の人たちも初めて目にする驚きがいっぱいの写真群だったため、大きな反響が寄せられているという。そこで、取材を担当した記者2人に「沖縄が驚いた5枚」を選んでもらった。
沖縄本島の那覇市、宜野湾市、名護市を取材した与儀武秀さんが選ぶのは、デパートらしき店内で女性がショッピングをする様子を写した1枚。棚には商品がずらりと並べられ、キューピー人形がディスプレイされている。壁には「ボンダンアメ」の広告がつるされているのもわかる。
「これは那覇市ウフマチ(大市)にあったデパート、『山形屋』か『円山号』ではないかと言われています。この写真を見た那覇市歴史博物館の学芸員は、品そろえの豊富さや洗練されたディスプレーに、戦前にこんな店があったなんてと驚いていました」(与儀さん)
2枚目は洞窟の中でパナマ帽を作る男女の姿を収めた写真。天井からはランプがつるされている。
「パナマ帽作りは材料となる植物が湿っているほうが作業がしやすく、霧吹きで湿らせて作業していたそうです。洞窟で作っていたという話は聞いたことあるけど、本当にそうだったとは…と学芸員も驚いていました」(与儀さん)
3枚目は、自転車を押すセーラー服の女子学生たち。突然の雨なのか、傘を広げたり、かっぱを着たりしている。
「セーラー服の襟に3本線が見え、県立第三高等女学校(現在の名護高校)であることがわかります。当時は卒業後は教師になる人が多い進学校で、いわゆる『いいところのお嬢さん』たち。地域では憧れのセーラー服でした。戦況が厳しくなるとセーラー服のデザインはヘチマ襟、タイトスカートに変わっていったそうなので、まだ戦争の影響が及んでいないことがわかります」(与儀さん)