曹洞宗の古刹・總泉寺を背景に巣鴨車庫前に向かう運転最終日の41系統の装飾電車には「永い間ご乗車ありがとうございました」のメッセージボードが提げられていた。志村坂下~志村坂上(撮影/諸河久:1966年5月28日)
江戸の五街道の一つに数えられる中山道に敷設された志村線を走る41系統志村橋行きの都電。志村坂下界隈は生活感溢れる商店が軒を連ねる。日曜日の訪問だったのか、天下の中山道も交通量が疎らだった。志村坂下~長後町一丁目(撮影/諸河久:1964年4月5日)
「都電の消えた街・山手編」の今昔対比で訪れた志村坂下。定点撮影した画面の左中央に女将さんの談話を取材した雨月飲食店が所在する。この時点で都道311号線(環状八号線)の部分延伸を示す道路標識が掲げられていた。(撮影/諸河久:1983年2月19日)
環状八号線の拡幅で往時の街並みが大変貌を遂げた志村坂下の現況。画面右端が定点探しの決め手となった漢方薬店。(撮影/諸河久:2022年8月30日)
志村坂上から志村坂を下り、志村橋へと続く長後町一丁目で行き交う41系統の巣鴨駅前行きと志村橋行きの都電。頭上には路面電車らしからぬシンプルカテナリー仕様の架線が架設されていた。(撮影/諸河久:1964年4月5日)
1964年当時の都電志村線と沿線旧町名地図(所蔵:諸河久)