本能寺跡の碑/本能寺は京都市中京区の元本能寺南町周辺にあった。跡地は福祉施設や堀川高校の学舎となっている。同区の下本能寺前町にある現在の本能寺は秀吉が後年移築したものである
本能寺の変概要図/6月2日の夜明け前、明智軍は信長の宿所である本能寺を取り囲む。本能寺は炎上し、信長はみずから槍や弓を手に奮戦したが、最期は火中で自害した。明智軍は引き続き北上して、嫡男信忠の籠もった二条御新造(二条新御所)を包囲。信忠は明智軍と交渉し誠仁親王を避難させた後、自身の手勢や信長の馬廻衆とともに戦ったが、最期は信長同様に自害した(CG/成瀬京司)