歌川広重筆「名所江戸百景・日本橋雪晴」。1856(安政3)年に描かれたものだ(出典 ColBase https://colbase.nich.go.jp/)
「江戸」の地名は「入り江の入り口(戸)」が由来とされる。当時は江戸城の眼下まで日比谷入江が伸びており、城周辺は湿地帯や砂州が広がっていた(図版 ウエイド)
道三堀と日本橋川が運河として機能し、城下町が発達。埋め立てられた日比谷入江跡地は、大名屋敷が並ぶ武家地となった。北の丸・西の丸など城の拡張も進む(図版 ウエイド)
天下普請によってさらなる開発が進む。駿河台が掘削され、平川の流れをかえて新たに神田川が成立。溜池から外堀がのび、神田川とつながって惣構を形成した(図版 ウエイド)