
横浜対PL学園、延長17回の激闘。1998年、夏の甲子園で繰り広げられたあの歴史的一戦を振り返り、数分の映像にまとめられたものを見ると、必ずといっていいほど出てくる印象的なシーンがある。
頭から滑り込み、顔を土だらけにしながら起き上がってガッツポーズするPL学園・田中一徳が映し出される。それに続くのは、甲子園の青空をふと見上げ、そして、困ったような表情を浮かべる松坂大輔の姿だ。
横浜が7-6と勝ち越した延長16回。松坂が、この回を抑えれば、長い戦いにピリオドが打てる。しかし、先頭の田中が左前打で出塁すると、平石洋介(現・楽天代行監督)が送りバント、続く3番・本橋伸一郎の2球目に、松坂が暴投。PL学園は1死三塁と同点のチャンスをつかんだのだ。
本橋が5球目を打った。バウンドした打球が松坂から見れば右サイド、つまり遊撃方向へ跳ねた。フィールディングにも定評のある松坂ゆえに、とっさにグラブが出た。しかし、逆シングルゆえに、ほんのちょっとだけ届かない。グラブに当たって、打球が少し緩くなって、遊撃前に転がる。佐藤勉がさばいて一塁へ送球。その瞬間だった。
「どうやったら1点入るかな。それにはゴロしかない。その時の松坂さんからは、外野フライもしんどい。だから『ゴロを打って下さい』って指示したんです」
そう振り返った三塁走者の田中は50メートル5秒6の快足。当時、2年生で唯一のレギュラーだった。俺の足で、この試合を終わらせはしない。田中は冷静に状況を見つめていた。ミートした瞬間に走るギャンブルスタートなら、佐藤は迷わず本塁へ送球する。だから、スタートは遅らせる。
「極力、一塁までは遠く……と思っていました」。そのためには、ショートかサードにゴロが飛べばいい。本橋の打球が松坂のグラブをかすめたことで、その転がりが三遊間の真ん中方向へ変わっていたのも、さらに幸いした。
ただ、横浜サイドにすれば、これで一塁がアウトになって仮に2死三塁になっても、次は4番の古畑和彦。だからPL学園の三塁走者は無理に突っ込んでこない。横浜のような強豪校なら、そのセオリーは熟知しており、そう状況判断する。「佐藤さんはノールックだったんです」。田中の方を見ないで、佐藤は一塁へ投げた。それを逆手に取るように、佐藤が送球動作に移った瞬間、田中は躊躇せずスタートを切った。