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うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。46歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は、めぐる季節に思う、変化していくことの意味について。
* * *
秋風が吹いた。
自分にとって最後かもしれない夏が終わったのか。
あるいは、味わえなかったかもしれない秋を迎えられたのか。
つまり、さみしさと喜び、どちらに身を委ねればいいのか。
季節の変わり目は私を戸惑わせる。
台風が近づき、去ったと思った夏がよみがえった8月23日。久しぶりに、食べたものを洗いざらい吐いた。自宅の最寄り駅の駅ビルで、常に手元に用意してあるスーパーの袋に頭を突っ込み、胃が裏返るほどに吐き切った。落ち着いたのもつかの間。新たな波が押し寄せ、多機能トイレで便器を抱えた。
駅前から自宅まで、初めてタクシーに乗った。料金は身体障害者手帳の1割引きで360円。それだけの距離が遠かった。車を降りると、座席を汚さないように握りしめていた2袋目がカサカサと風に鳴った。
想像するに、昼時をかなり回って食べた揚げ物が犯人だろう。「油が悪い」。店を出たところで配偶者と見つめあった。疲れ切った体に、それがだめ押しになった。
体調は戻るのか、さらに悪くなるのか。ぼんやりとしていた夜半、「これで毒が出たのだ」と急に感じた。ふっと浮かんだ考えは体の実感から来ていることが多い。予想通り、体調は回復へとかじを切った。
日々を生き抜くための理屈も、こうした実感と混然一体となって生まれたり、消えたりする。
先日も、自分では忘れていた発言を知り合いから指摘され、久しぶりに思い出す経験をした。昨年11月に出演したインターネットTV「AbemaTV」の番組で述べたことだ。おそらく当時、知り合いが見舞いに来るたびに話し、自らに言い聞かせていた理屈なのだろう。