各地で地方大会が開幕し、いよいよ高校野球シーズンが本格化してきた。大阪桐蔭(大阪)が史上初となる二度目の甲子園春夏連覇を成し遂げるかが最大の焦点だが、同校は毎年のようにプロに選手を輩出しており、まさに勝ちながら育てられるチームであると言える。しかしその一方で、高校時代は甲子園には無縁どころか、その地区でも強豪とはとても言えない高校に所属していながらプロで大活躍している選手がいることも、また事実である。そこで今回はそんな“無名校”出身の一流プロ野球選手について紹介したい。
ここ数年目覚ましい活躍を見せている選手で無名校出身の筆頭格と言えるのが千賀滉大(ソフトバンク)になるだろう。千賀の出身校は愛知県の蒲郡。1912年に創設された蒲郡町立裁縫女学校が前身の伝統校であるが、千賀より以前にプロ野球選手を輩出したことはない。過去10年の夏の地方大会の成績を見ても初戦敗退が4回で、最高成績は3回戦進出である。とても野球強豪校とはいえない学校であり、千賀も故障が多かったこともあり在籍した3年間で目立つような成績は残していない。
しかし、その才能に光るものを感じた県内のスポーツ用品店の店主がプロ球団のスカウトに推薦し、ソフトバンクが育成4位で指名したという経緯がある。そして充実したプロの施設で鍛えられるとその才能は一気に開花し、2年目には支配下登録され、3年目からはチームに欠かせない存在となり、今やリーグを代表する投手にまで成長したのだ。いくら環境が大きく変わったとはいえ、ここまでの短期間で一流選手に駆け上がった例は多くはないだろう。
各チームの現役のレギュラークラスで無名高校から直接プロ入りした選手となると、千賀以外は見当たらないが、大学や社会人を経由したケースは少なくない。中日でリリーフとして一時代を築いた岩瀬仁紀、浅尾拓也の2人も千賀と同じ愛知県の県立高校出身だ。岩瀬は西尾東時代から地元では知られていた選手だったが、浅尾は全くの無名選手であり、出身の常滑北(現在は常滑と合併)も野球での実績は皆無である。浅尾が進学した日本福祉大も当時は愛知大学リーグの2部と3部を往復するレベルのチームだったが、そんな環境でもメキメキと力をつけて4年時には150キロを超えるストレートをマークして地元中日に入団。落合博満監督時代のリリーフ陣を支える活躍を見せた。