第二次世界大戦終結の年、十代半ばのイギリス人少女とカナダ人兵士との間に生まれたエリックは、さまざまな事情や配慮から、祖母と彼女の再婚相手に育てられた。ロンドンの南に位置するリプリーという静かな町で、その二人を両親だと思い込まされて、幼少期を送ったのだった。

 この時期、BBCラジオなどを通じてアメリカの黒人音楽を知り、訳もわからないままその魅力の虜となっていった彼は、9歳になったころ、いわゆる出生の秘密を知って深く傷つき、結果的に、さらに深く音楽の世界に入り込むことになったという。周囲と距離を置き、一人でいることを好む性格も、このころに醸成された。そして、ギターを手にとり、時代を遡るようにして伝説的なブルースマンたちの歌や演奏を追いかけていくうち、もうあと戻りができなくなった。

 その後、18歳で世に出たクラプトンは、読書や芸術映画で自らを高め、一切の妥協を排して英国人の感性でブルースを追求しつづけることによって頂点に立った。25歳のとき、親友の妻への狂おしい愛という苦悩と引き換えに手にした名曲「レイラ」は、経緯や事情はともかくとして、クラプトンのブルースの完成を示したものといえるだろう。

 映画『エリック・クラプトン 12小節の人生』は、多くの時間がそこまでの歩みに費やされている。その時間的流れや、環境と意識の変化などをきちんと描くためにたくさんの貴重な写真や映像が紹介されているのだが、とりわけ実の母との確執を物語る8ミリ・フィルムが印象に残った。また、ジミ・ヘンドリックスの急逝を知り、「置いていかれた」と思ったというエピソードに重ねられる、遠くを見つめるような表情は、どんな言葉よりも強く彼の想いを伝えるものだった。

 そのヘンドリックスやジョージ・ハリスン、ローリング・ストーンズのメンバー、B.B.キングをはじめとするブルースマンたちとの交流も、アーカイヴ映像や音声によってきちんと描かれていく。

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