うまくいかなかった2度の手術。「もう完全に治ることはない」と医師は言った。「1年後の生存率1割」を覚悟して始まったがん患者の暮らしは3年目。45歳の今、思うことは……。2016年にがんの疑いを指摘された朝日新聞の野上祐記者の連載「書かずに死ねるか」。今回は政治家の「必死さ」について。
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他人を自分の都合で使い捨てる。思わぬ権力が転がり込んだうれしさに舞い上がり、その使い方を誤る。政治家とは、私たちが勤め先で見かける人たちを何人も濃縮したような存在だ。
職場が一緒ならば困った人だが、そういうわけではない。そもそも、実像が世間のイメージ通りとも限らない。現状から出発し、今ある機会を存分に生かしているかどうか。どうしても関心はそちらに向いてしまう。
必死で滑った転んだを繰り返しているせいか、政治家のひと言には思わぬ本音が漏れることがある。
第1次安倍政権の2007年3月。ある週末の夜、自民党のある派閥トップから、記者数人による懇談に呼ばれた。
こうした場は、表の取材よりも一歩踏み込んだ本音に接する機会だ。相手がベテランにせよ、中堅にせよ、政治状況に影響を与える力があれば、勇んで駆けつける。だがそうでなければ、貴重な週末をつぶすのは気乗りしない場合もある。
この相手は政権中枢から外れているものの、ベテランならではの人脈を生かしてトリッキーな動きをすることがあった。政権を揺さぶるほどの力はないけれど、呼ばれたら無視できない――。それぐらいの存在だった。
指定された場所に本人が到着する前、他社の年上の女性記者にこぼした。「今日、彼女が東京に帰ってくるんですよね」。いま「配偶者」と呼んでいる女性が1年ぶりに帰京する日だったのだ。
女性記者は私に深く同情した。現れた政治家に「野上さんは今日、彼女が帰ってくる日なのにここに来ているんですよ」と、私が言えない本音を代弁してくれた。