坪内さんは結婚して3年で離婚してしまったのだ。幸い、英語が堪能だったので、観光協会の翻訳の仕事や旅館の仲居さんの指導の仕事などで、生活していくことができた。
三度目の転機は、この仲居さんの指導中にやってきた。
「年末の繁忙期でしたね。仲居さんのコンサルティングとして、お座敷に出ていたら、1人の漁師に声をかけられたんです」
声をかけてきたのは、萩大島の漁師、長岡秀洋さん。船団を率いて巻き網漁を行うベテランの漁師で、漁師たちをまとめる船団長だった。名刺を渡したのがきっかけで、長岡さんから小さな事務仕事を頼まれるようになった。
●3万円で頼まれた漁業の再生。そして6次化の道へ
そしてある日、突然、長岡さんから「話がある」と電話が入った。
指定された喫茶店に行ってみると、そこには長岡さんを含め、3人の男性が待っていた。それぞれ萩大島で自分の船団を率いる船団の代表だった。
「このへんの海は魚が年々獲れなくなって、漁師の後を継ぐ若者も減っている。俺ら大変なんよ。あんたに漁業の明るい未来を考えてもらえないやろか」
男たちは1人1万円、計3万円を坪内さんに渡した。
これで漁業のコンサルタントを? 荒唐無稽の話だった。だが、坪内さんは「面白そう」と話に乗ってしまった。もともと好奇心旺盛。こわいもの知らずの性格だ。
「それに素朴でピュアな漁師たちのキラキラ光る目を見ていたら、彼らと何かやりたいと思ってしまったんです」
これが四度目の転機となる。そしてここからさらなる転機と怒濤の歴史が始まった。
萩大島の漁業の未来引き受けたはいいものも、何をどう始めたらいいかわからない。
何しろ、坪内さんは漁業のことは何も知らない。つい昨日まで家庭にいた、ふつうの専業主婦だったのだから。
「試行錯誤していたとき、見つけたのが農水省が推奨していた6次産業化の認定事業者の申請制度でした」
6次産業化とは1次産業である漁業の従事者が、魚を取るだけでなく、2次産業である加工や3次産業である販売も手がけることで、漁業の活性化をはかるというもの。