1次(漁業)×2次(加工)×販売(3次)で6次産業化、というわけだ。
「間に入る中間業者を省いて、直接消費者と取引することで、魚をより高い値段で売ることができます。漁獲量が減っても、漁師の収入を増やせるわけです」
農水省の認定事業者になる計画を長岡さんたちに持ちかけると二つ返事で賛成された。だが彼らには行政との交渉や販路の開拓などビジネスの根幹に関わるマネジメントがわからない。
「あんたが代表になってや」と言われて、やむなく代表を引き受けた。これが5度目の転機となる。
●ジャージと長靴。スーツスタイルから大変身
3つの船団は「萩大島船団丸」として統一された。坪内さんは気がつくと60人の荒くれ漁師を率いる船団のボスになっていたのである。
だが本当の悪戦苦闘はここから始まる。最初にぶつかった壁は、旧態然とした漁業のしくみだった。
漁協を頂点とする仲卸、問屋、小売りのシステムは、消費者とじかに取引する「萩大島船団丸」のビジネスモデルとまっこうからぶつかったのだ。
漁協との対立。ほかの漁師仲間からも白い目で見られ、「萩大島船団丸」をやめていく漁師たちもあいついだ。
「漁業も知らない都会の小娘に何がわかる」
このとき坪内さんは決意した。
「私も地元の人間になってやる!」
ビジネスの現場で馴染んだスーツを脱ぎ捨て、ジャージと長靴姿に着替えた。そしてそれまで使っていた標準語ではなく、荒々しい漁師たちの「島言葉」を使い始めた。
「漁師たちに信頼してもらうためには、こちらから彼らの中に飛び込まないといけないと思ったんです」
6度目の転機だった。漁師たちはためらいながらも、坪内さんについてくるようになった。だが試練は次々と押し寄せる。
●漁師と殴り合いのけんかのはてに
消費者との直接取引を始めたが、最初は思うように客先が伸びなかった。
坪内さんは「萩大島船団丸」の魚を買ってくれるお客さんを開拓するために、大阪の繁華街を飛び回っていた。